關刀山の稜線から遠望する馬海僕富士山(麻平暮山) |
北側の登山口から頂上を往復 |
平らな部分の歩行が多い |
まだ暗いうちに地母廟を出発 |
廬山溫泉,左の旅館は休(廃)業 |
5時に起床、昨晩宿泊した地母廟を6時すぎに車で出発する。14号道路経由で霧社へ向かう。まだ周囲は暗いが、その昔は原住民と平地民の境であった人止關を通り過ぎる。谷間から上りつめ、6時40分霧社へ着く。警察分局で入山許可書を申請する。五日前までならネット上でも申請可能だ。最近は、入山許可を必要としない山も現れてきたが、ここままだ管理範囲となっている。申請に20数分かかった。
上方の清境農場のはるか下に赤色の雲龍橋 |
更に14号線を廬山方向に進む。赤い鉄橋雲龍橋を過ぎる。今は立派な橋だが、その昔は蘇庫鐵線橋(吊橋)であった。霧社事件の時、日本軍の追撃を防ぐために原住民は吊橋を壊した。今は橋脚が残っているが、吊橋自体はない。霧社事件に関係ある場所の一つだ。廬山は以前ボアルン社と呼ばれた原住民集落だ。集落へ着く前に、右に折れ塔羅灣溪へ下る。下っていき7時半、廬山溫泉につく。2008年のシラク(辛樂克)台風の大水で大被害を受けた。河際のホテルビルが、濁流のために基礎を削り取られ、河の中に倒れたニュースビデオをまだ覚えている。立ち直れずに、廃業し廃墟のようになっている温泉旅館もまだある。以前の活気はないようだ。マヘボ社は、この温泉の少し上のほうにあったという。
キャベツ畑の向こうに広がる山並み、左奥は白姑大山、最右は安達山(再生山)。左の道を登っていく |
登山口 |
緩やかな枝尾根上の道を行く |
がけ崩れ部分を進む |
対岸に能高山とそれから延びる尾根が見える |
十字路鞍部 |
テントが張れる広場 |
沢を越える |
急坂を登る |
遠くの谷間に萬大北溪が見える、背後は白石山の稜線 |
藪漕ぎをして山腹道を行く |
焚火あとのある鞍部 |
凱旋牌 |
トウヒの巨木わきを登る |
ベニヒの巨木と矢竹の道を登る |
頂上三角点でのメンバー全員 |
山頂の様子 |
巨木わきを下る |
杉の人工林を通り過ぎる |
下りものこりわずかになってきた |
休憩後高度差約100mの登りが始まる。下山の時の登りは、かったるい。15時58分、十字路鞍部を通過、また下りが始まる。がけ崩れの部分を過ぎると、幅広い枝尾根上の緩やかな坂が続く。16時35分、登山口まで戻ってきた。朝に比べると雲が出てきたが、天気はまだよい。開けた視野のなか、傾いてきた陽光に守城大山の大きな姿が浮かびだす。次にはこの山に登ろうか。コンクリ舗装の道を、車の停めてある農家まで下る。黒犬が吠えている。16時50分、車の場所までやってきた。17時過ぎ、車で帰路についた。
駐車している場所へ下る、遠く雲の下に合歡山、最右は安達山、中央は尾上山 |
斜陽光線に浮かぶ守城大山 |
満開の山桜(カンヒザクラ) |