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挑硫古道から望む七股山と七股古道がゆく尾根 |
陽明山は、特に山系の南側は台北からのアプローチが簡単で、道も良いので多くのハイカーが四季を通じて訪れる。その中でも緑の草原が広がる擎天崗は、車道が通じているので遊楽客も多い。また、擎天崗から金山へ通じる
魚路古道(金包里古道)は陽明山国家公園の管理する良い道だ。しかし、それでは物足らない山仲間が自分たちで開いたり、整備している道もある。公園側としては、非正規な道で安全を確保できないので、入口に立入禁止警告板を出しているものもある。
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天寶聖道宮から時計回りに歩く |
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下って登り返すルート |
今回のルートは、そうした非正規の道だ。もともと地元の人が生活のために歩いていた古道である。古道は、自動車交通の発展で忘れ去れ、登山者が再び歩き始めたものだ。擎天崗の近くにもこうした道がある。冷水坑の近くから七股山の尾根を下っていく七股(山)古道と大油坑から硫黄を担いで下った挑硫古道である。硫黄は弾薬の原料である。清朝時代には、ここを管理する守硫營が建てられ兵士が駐在していた。陽明山は活火山である。今でも小油坑や大油坑ではガスが噴き出している。大油坑では、温泉の源泉でもあり、濁った熱水が流れている。
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小15番バスと天寶聖道宮バス停、背後の山は七星山 |
数日前に天気の良い日を選んでの山行で、今日は木曜日である。もともと参加者は大したことがないと思っていたが、筆者も含め二十名の参加だ。MRT劍潭駅から小15番バスに乗るが、乗客が多すぎて7時40分発の便は満員で乗りきれず、次の8時発の便で向かう。小型バスということもあるが、平日なのにこの盛況だ。約40分の乗車で、冷水坑の駐車場を過ぎ天寶聖道宮バス停に着く。この廟の下で支度をして、8時53分出発する。擎天崗の方向に少し歩いたところに、左に斜面を登っていく小道がある。これが七股山の入口だ。
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七股山に向けて登る |
踏み跡を追って行く。水なし沢を過ぎ、登りが続く。下草の生える美しい杉林を過ぎ、9時11分、右から道が合流する。後ほど歩く道だ。先に左に七股山への頂上を目指す。分岐から登り始めてまもなく矢竹が現れる。藪漕ぎをするうち、濡れた葉でズボンや袖が濡れる。緩い坂を数分藪漕ぎをしながら進むと、ススキの頂上にでる。三角点が埋まっている周りも密生した草だが、草越しに周囲の様子が望める。草の間の人が立てるところは狭いので、入れ替わりパーティの先頭は往路を下る。9時31分、分岐に戻り左の道を進む。
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草藪のなかの七股山山頂 |
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小沢をこえて七股古道を進む |
少し下ると、杉林に出る。そこにまた分岐がある。右は雍來鉱山跡へ続く。左に折れ下っていく。途中で大きく右に曲がり、9時47分別の分岐に来る。右からの道は雍來鉱山跡のもので、ここから七股古道の始まりだ。道はそこそこ歩かれているようで、踏み跡もはっきりしている。小沢を越え、緩やかに登り返す。そのうち道は幅広い尾根を下り始める。10時18分、広い土の道の降りる。ここも分岐だ。左は松柏閣溫泉に続く。右の道をとり、陽金公路の取岳橋へ下る。こちらは古道でなく、山道ではじめはかなりの急坂が続く。一応要所にはロープが取り付けられているが、あまり人が歩いていないようだ。踏み跡も少し頼りない。
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取岳橋への分岐点道標 |
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急坂を下る |
一度小沢を過ぎ、その先道は右と左に分かれるが、右の道はすぐに行き止まりとなる。左の道をとり急坂を下る。少し下っていくと、踏み跡がはっきりしない中、溝状のくぼみを下る。下り切ったところは大きくなった沢の崖の上。下方を見ると左下に沢を渡れる場所がある。斜面を樹木を頼りにトラバースし沢に降りる。沢を渡る。全員がそろったところで、左岸を行く。最近に道が崩たり倒木が発生したようで、道筋がはっきりしない。方向を見定めていくと、11時25分陽金公路に出た。山道の下りはこれで終了だ。
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山の斜面をトラバースし、沢を渡る |
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陽金公路を歩く |
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挑硫古道の警告板 |
ここでメンバーの一人のTさんが、先に帰るということでパーティを離れ、残り19名で陽金公路を金山方向に下っていく。平日のためか、交通量は多くない。10分ほどで、挑硫古道の入り口に着く。ここは大油坑のバス停があるところだ。道を歩き始める。すぐに警告板と柵が現れる。柵はわきから通り過ぎる。挑硫とは硫黄を担ぐという意味だが、この幅の広い道は車などを利用して硫黄を運搬していたのだろう。むしろ清朝のころは、大油坑と魚路古道との間にあった守硫營を通過し魚路古道を担いで下っていったはずで、こちらはまさに挑硫だったと思う。
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大油坑山山頂、遠くは竹子山 |
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ススキを藪漕ぎして進む |
挑硫古道は、はじめつづれ折れで高度を稼ぐ。その後山腹を横切って進んでいく。そのうち右側には、谷を挟んで先ほど歩いてきた七股山とそれから下がる尾根が見える。道がまたつづら折れで曲がり、峠を越して尾根の反対側に出る。こちら側は乾いて少し広い場所なので、昼食の場所とする。荷物をおろして峠のところから稜線上の道を大油坑山に向かう。12時6分、草の刈られた大油坑山(標高552m)に着く。新しい三角点のある頂上からは、西側に
竹子山から小觀音山の山並みが見える。先ほどの場所に戻り昼食をとる。
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大油坑の全景 |
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温泉熱水が谷間を流れていく |
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昔の機材が残る |
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参加メンバー |
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草原を魚路古道へ向かう |
12時45分、出発する。ススキの間を藪漕ぎし進むにつれ、硫黄の臭いがしてくる。前方に擎天崗付近の山並みを背後に、草木の育たない大油坑の谷間が広がる。草木が育たない山肌は灰色を呈し、谷間をのぞくと灰色に濁った温水が流れている。以前はここで硫黄の採取が行われていた。屋根がない当時の小屋や太いパイプなど、採取が行われていたころの名残が残っている。硫黄ガスの噴出し口近くを、温泉水の沢を渡り、山腹の道をまいていく。温水はかなりの温度だと思えるので、足をつけないように注意して渡る。13時、大油坑の噴出地帯を通り過ぎ、草の間の道を進む。道は二つに分かれ、左の道は守硫營跡を通る。我々は右の道を行く。草深いが、踏み跡はしっかりしている。草が切れると森に入り、13時08分すぐに魚路古道に合わさる。
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沢を越えて魚路古道へ |
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魚路古道を登る |
沢を越えた後の魚路古道は、石畳の良い道だ。ここは、陽明山公園が維持管理している道だ。4.6Kのキロポストがある。擎天崗の入り口城門までは1㎞だ。石段を登っていく。10分ほどで
日人路と交差する。さらに石段を登り、途中もう一度交差する。日人路は傾斜が緩いが、石段の旧路のほうは距離が短い。13時29分、もう一度日人路と合わさり、そこからは日人路を行く。振り返れば下方に魚路古道、そしてその向こうに磺嘴山が同じぐらいの高さにドッシリと座っている。道前方は、擎天崗山だ。13時43分、擎天崗の徳福宮土地公の祠の前に来る。この周囲は今道の整理工事が進行中だ。すぐ上の涼亭で休憩をとる。約5時間で予定の道を歩いた。
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日人路の最後部分から磺嘴山と足元の魚路古道を望む |
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前方に擎天崗山を見る |
休憩後、すぐ後ろの擎天崗山を登る。ここは道の整理がされた後、ほとんど登られていないようで、草が道を塞ぐ。藪漕ぎも大変だ。途中にトーチカ跡を通り過ぎる。方向を見定めて草をかき分け登る。14時27分、四等三角点のある頂上に着く。標高差は数十メートルだが、20分を要した。金山側を見ると、先ほど歩いた谷間には霧がかかり始めている。往路を下る。擎天崗ビジターセンターに下り、小15番バスを待つ。15時過ぎ、バスに乗車し山を下った。
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草深い擎天崗山頂上から霧がかかり始めた擎天崗草原を望む |
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擎天崗山のトーチカ跡 |
三、四日続いた良い天気の最後の日になったこの登山は、家に帰るころには雨が降り出し、よいタイミングであった。太陽は顔を出すことがなかったが、雨は降らずよい山行だった。水平移動距離約7㎞、累計の登り630m、下り580mである。七股山や七股古道は、地図が読めることが必要だ。道標はあるが、標識マーカーは比較的少ない。特に取岳橋への道はあまり歩かれていないので、踏み跡も少し頼りない。一方、挑硫古道は道筋がはっきりしているが、基本的に陽明山公園は立入禁止としている部分なので、そのリスクは理解した上であることが必要だ。
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