このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2018-09-02

2018年9月1日 七堵姜子頭山-姜子寮山-觀音湖 人気山の不人気ルートを歩く

@姜子寮山山頂
台湾で熱心に登山をはじめて八年が過ぎた。その間に、台北近在の山々はほとんど歩いた。同じ場所に何度も行くのは筆者の趣味ではないので、自然と歩いていないところを探す。登山人口の増加もあり、ボランティアによる新しい道や古道の発掘手入れが行われ、登山道の総距離は増えている。ただ、新しく開かれたり手入れされても、亜熱帯の台湾は歩かれないとすぐに自然に戻ってしまう。今回歩いた場所の姜子寮山は、車でかなり高い場所まで来られ、一時間ぐらいで登頂できるので、多くの人が訪れる。しかし、それ以外の道は草に埋もれてしまっているところもある。

南側から北へ歩く
下りメインの歩き
草に覆われた道
6年前に歩いた姜子寮山の北稜は、当時は草も刈られて少なく、道筋もはっきりしていた。今回逆方向に下りに取ったが、草に埋もれている場所がかなり多かった。草の下の踏み跡はまだはっきりしているので、草をかき分けていけば問題ないが、予定した北稜中ごろから沢沿いに觀音湖(西勢水庫)へ下る道は分岐からすぐに草木にふさがれ、道筋すらはっきりしていなかった。もともとほとんど人が入っていないこの道は、その入口にたどり着く北稜上の道が草に覆われている状態だから、その状態はおして知るべしなのだろう。結局、この道をあきらめ、稜線を伝って觀音湖に降りた。

F905新巴士で展望台站バス停につく
出発
姜子頭山登山口表示
天気が良いことも手伝い、今回は筆者も含め21名と大勢の参加だ。汐止に7時40分ごろに到着、大同路の駅向かいのバス停で8時発の平溪行F905番新巴士(新北市無料コミュニティーバス)に乗る。途中で地元の乗客が数名降りる。この前7時半発の仁愛橋止まりF905番バスで行った三人が、途中で乗ってくる。磐石嶺の峠に向かってヘアピンカーブが続く坂道を登っていく。8時半に姜子寮展望台バス停で降りる。我々が降りた後は、バスはガラガラだ。天気は曇り、まだ暑いこの時期の山を歩くにはよい。

姜子頭山山頂
支度を済ませ、道路を登っていく。カーブを曲がるとすぐ左に姜子頭山への登山口がある。ほんの三分ほどで、三角点の石が埋まる頂上に着く。周囲は樹木、展望はない。縦走路のある主稜線へ向かって登り始める。坂はそれほど急ではない。ところどころシダの葉に覆われ道筋が見えない。あまり歩かれてはいないようだ。歩き始めて30分あまり、9時20分に左がシダの葉だけで遠くが見える。主稜線の奥に姜子寮山がある。小さな下り登りのあと、9時26分主稜線の分岐に着く。さらに少し進み、石硿大崙の頂上が現れた。ここも樹木のなか、樹幹に取り付けられた表示がなければ、山頂とはわからない。

シダの草むらごしに姜子寮山が見える
石硿大崙山頂
草の稜線を行く
主稜線上の道は、果たして状態がよい。ここは多くの登山者が歩いている。道脇の草も生えるが、踏跡は常に人が歩いているので草は茂らない。稜線は、基本登り気味だが、小さな上り下りは続く。9時56分、烏嘴尖への分岐を過ぎる。カヤトに出て前方に姜子寮山が見える。一度大きく下り、登り返していくと右の平溪側から姜子寮古道を合わせ、その先少し10時21分に左に汐止側へまた古道を分岐する。古道は峠越えの道であり、登山道とは違う。

まだ新しい姜子寮古道分岐の道標
頂上近くの草原を行く
道は登っていくと、広いカヤトにはいり草の間を進む。姜子寮山山頂は近い。頂上のハイカーたちが見える。補助ロープの取り付けらた坂を登っていく。10時35分、山頂に着く。今回は出発点がすでに高く、約2時間で山頂に着いた。天気は晴れてきて暑いが、幸い風がある。駐車場から登ってきた家族連れのハイカーも多い。数回目の山頂だが、見晴らしのよいこの山頂は気持ちがよい。ゆっくり休憩する。

姜子寮山山頂
山頂から西方向を見る、歩いてきた主稜線が伸びている、左は平溪の谷
頂上近くの花畑
11時5分、觀音湖に向けて下り始める。左側に金針花が植えられている。付近にもベンチなどが造られている。地元のボランティアがこうした造作をしているようだ。長い枕木階段を下り、約15分で北稜への入口に着く。ここで、メンバー4名が離れそのまま下っていく。入口からは少し登りがある。驚いたことに、草がしっかり刈られている。10分ほど歩いていくとその理由が分かった。一か月前日付の真新しい藍天隊の道標がある。北稜を横切っていく草濫古道を整理し、その際にこのセクションも草刈をしたようだ。この整備された道は、右に西勢坑古道に降りていくようだ。

北稜道の分岐点、右に進む
內西勢坑山山頂
更に北稜を下っていく。道の状態は、俄然悪くなる。朝の姜子頭山から主稜線への道に輪をかけて草が道を覆っている。幸い草の下の踏跡はまだはっきりしているので、草をかき分けていけば問題ない。しかし、6年前とはずいぶん様子が違う。最近はあまり人が入っていないのだろう。11時51分、內西勢坑山に到着する。この道では十数名のメンバーが休める広場は少ないい。この頂上も広くはないが、ここで昼食休憩を取る。

白鶴蘭
草深い道を進む
30分ほどの休憩後、北稜を下っていく。道端に白鶴蘭が咲いている。竹藪などの近くはないが、日当たりがよいところはシダが茂って足元が見えない。12時40分、右に樹木の切れ目から觀音湖の湖面が見える。13時4分、沢沿い道の分岐がある。少し入って様子を見る。すぐに倒れた樹木などが重なり、道筋もはっきりしない。数年前でもあまり歩かれていない道なので、強引に下っていけば通れないことはないだろうが、おそらくかなりの苦労が必要だ。メンバーも多いのでこの道はあきらめ、そのまま稜線を伝っていく。すぐ左に、泰安瀑布へ下る道を分岐する。

古ぼけてしまっている沢沿い道の分岐道標
暖暖砲台遺跡
稜線を行く
すこし登り返す。13時15分、左に拔西猴山への道を分ける。6年前はこちから登ってきた。右に道をとり北東方向に延びる支稜を進む。2015年に整備されたあと、3年ほどたっているので、こちらの道もそれほど状態がよいわけではない。13時24分、暖暖砲台と記された場所で休憩する。清仏戦争のときに、フランス軍の侵入にそなえて造られた砲台遺跡の一つだ。

開けた場所から姜子寮山(中央奥の山)が見える
砲台遺跡の分岐
更に稜線をゆき、13時47分お墓の前を過ぎる。周囲の樹木がないので、右に姜子寮山が遠くに見える。だいぶ下ってきた。13時54分、三疊山への分岐にくる。ここも砲台遺跡がある。右に觀音湖へ進む。すぐ右に塹壕の跡がある。これらも清仏戦争の時の名残だ。三年前東勢大崙を歩いたときに見たのと同じ目的のものだ。フランス軍は1884年基隆から侵入したが、暖暖山中のこの地までくることはなく、台湾から中国本土へ戦場を移し、砲台や塹壕は使われることはなかった。

塹壕跡






道は高度を更に下げていき、14時19分右に湖に下る道の分岐が現れる。急な道を下り、14時27分湖わきの道に出る。道沿いにダム堤防のわきに行く。しばし休憩する。後半の尾根歩きはあまり風もなく、メンバーは距離に対して疲れ気味だ。ここは木陰で風もある。残りはバス停までの車道歩き、もうほとんど終わりだ。途中食事の時にも飲んだが、ここで最後のビールを開ける。最近は参加メンバーの多くが冷やしたビールを持参している。

觀音湖(西勢水庫)についた
記念碑前で
15時過ぎ、1キロ余りの車道を下っていく。左に大きな水道局のビルを見る。右の水源地雙生土地公で顔や腕を洗い、その先の橋を渡って水源地バス停に着く。水源地とは、この橋のわきに台湾初めての浄水場があったことからの名付けだ。浄水場の建物は今でもある。バス停でまもなくやってきたバスに乗り、暖暖駅から15時40分発の區間車電車で台北に帰った。

橋の上から遠くの姜子寮山稜線を見る、左の丘は觀音山
距離は10キロほど、休憩を含めて7時間足らずの山行であった。下りが多いが、まだ暑いこの時期、低山の尾根歩きはやはり疲れる。沢に降りるつもりで計画したが、結局道の状態が悪くかなわず、後半は天気が晴れになったこともあり、暑さに苦労した。今回のルートは、まだまだ十分に歩ける。ただ、今後歩く人が少なければ、それだけ苦労は多くなる。後半下りで、遠方の雷声を聴いた。確かに東方向の雲が厚く黒くなっていた。しかし、雨に降られることなく終了した。台北に帰り着き地下鉄から地上に出ると、ちょうど雨が上がったところで驚いた。

0 件のコメント:

コメントを投稿