このブログを検索:山名などキーワードを入れてください

2019-06-07

2019年6月5日 三貂嶺 後凹古道-三貂嶺山-夢幻瀑布 初夏の日の山歩き

三貂嶺の稜線道を行く、背後に三貂嶺山(左)と三貂大崙
日本統治時代のインフラ建設の一つ、現在の台灣鐵路局宜蘭線の建設が大正六年(1917年)台北側と宜蘭側両端から始まった。台北側の八堵から基隆河沿いに進んだ工事は、標高4、500メートルの三貂嶺の峰々に行く手を遮られる。1920年に猴硐駅まで開通するが、その先は三貂嶺隧道の開通を待たなければならなかった。台北と宜蘭を結ぶ交通手段は、鉄道が通じる以前の陸上では、淡蘭古道と総称される、二つの地を結ぶいくつかの山道がつないでいた。最近淡蘭古道北路としてまとめられる、清時代の官制道路金字碑古道が、基隆河の谷間から三貂嶺の峰を越えていく。全長約2キロの当時の難工事三貂嶺隧道が開通する前は、猴硐駅まで汽車でやってきた旅人は、そこからは徒歩で三貂嶺を越えた。金字碑古道の入り口は、猴硐駅から少し遠い。そこで、金字碑古道への近道が開かれた。これが今回のコース中はじめに歩いた後凹古道である。当時は日人路と呼ばれていた。

@夢幻瀑布
後凹古道は、以前下ってきたことがある。今回はこの道を登り、金字碑古道につなぎ、探幽亭のある峠へ登る。そこから稜線を三貂嶺山と三貂大崙を越えて北37号県道へ下る。予定では、石壁坑產道から頂坑山へ往復するつもりだったが、登山口自身もはっきりしない状態なのであきらめ、直接夢幻瀑布を経由し下山した。三貂嶺山は、7年前に訪れたことがある。その時は草深い状態だったが、山道はつい最近手入れされていた。三貂大崙への道の間は、大石が道すじに現れ、またロープの取り付けられた急坂も多くある。

北から南へ歩く
歩行高度表
駅の待合室ベンチに野良猫
今日は、距離的にもそれほどでなく、割合と楽なルートである。出発も少し遅めで、台北を7時半に出発。先に自強號で瑞芳へ行き、約10分ほど待ってやってきた區間電車で次の駅、猴硐へ向かう。8時32分に到着した電車からは、今日のパーティメンバーが降りてくる。平日だが、今日は筆者をいれて10名だ。猴硐は、猫村として知られている。野良猫が多い。駅のベンチにも猫がいる。

橋から望む獅子嘴嘴とその右に烏塗窟山
旧神社参道には鳥居が残る
8時43分、駅から左に線路沿いに進み、大きな橋で基隆河を渡る。橋の上から北方向を見ると、基隆河の向こうに岩の露出したギザギザの峰が続いている。獅子嘴岩から烏塗窟山への稜線だ。橋を渡ったところの涼亭裏にある階段道を登る。三、四分で分岐が現れ、右に進む。今はすでにない猴硐神社があった場所だ。参道であった階段を下り、鳥居をくぐる。原型で残っている鳥居は少ないので、貴重だ。5年前に鳥居脇にあった説明板はなくなっている。

穿山甲(センザンコウ)








北37号県道を少しくだる。道端に穿山甲(センザンコウ)の死骸がある。自然に死んだのか、それとも夜行性なので夜に餌探しに出てきて車にはねられたか。体のうろこは漢方薬の材料の一つとされているが、サイの角と同じで効用は証明されていないようだ。東南アジアなどの生息地で多くの穿山甲が捕獲され、そのうろこが中国へ売られている。ロバの皮といい、センザンコウのうろこといい、中国が金を持ち世界からこうしたものを買うのは、いかがなものか。世界の自然体系を彼らの金が犯している。

後凹古道登山口、よくあるマーカーリボンなどはない
草に覆われた廃屋の石壁
9時5分、後凹古道の入り口に来る。山道が始まる。沢沿いに進み、間もなく沢を渡る。9時12分、石壁だけが残る廃屋脇にくる。結構おおきなものだ。三貂嶺隧道は、1922年に開通し汽車がトンネルを通過できるようなると、後凹古道は本来の目的がなくなり、自然と利用されなくなる。この廃屋は、当時は旅人に茶水を出していのかもしれない。我々も少し休憩する。

古道の石段
後凹古道分岐の道しるべ
道は急になる。石段も現れ、古道の様子だ。今日は好天気、谷あいをゆくこの部分は風もなく、全身汗が噴き出す。小沢の音が遠ざかり、高度を上げる。9時33分、道は幅の狭い平らな尾根上を行く。その後また急坂になる。9時43分、金字碑古道に合わさる。休憩をとっていると、一人の登山者が登ってくる。よく見るとCTさんだ。彼はもともと参加するつもりであったが、電車に乗り遅れたので次のでやってきたそうだ。かなり速足だ。ここでメンバーが一人増える。

金字碑の前で
石碑
金字碑古道は、地方政府のメンテもあるよい道だ。コンクリ石段が続く。前上方に金字碑が見える。石段の脇にまだ新しい説明板がある。最近の淡蘭古道の整備の一環だろう。ここから石段は昔の砂岩のものだ。大きな岩を磨いて作られた石碑の文字もきれいにされている。同治六年(1867年)の文字もクリアだ。日本の明治維新のころだ。石碑の上は道がしばらく緩やかになる。最後に急坂を登りつめ、10時17分、峠に着く。峠からは、基隆河の谷間とさらに遠く海に浮かぶ基隆嶼までも見える。峠の広場脇にある探幽亭で休憩する。

峠から基隆河の谷間を見る、遠く海には基隆嶼
大石が邪魔をし歩きにくい
10時43分、稜線道を歩き始める。登り口から、道は草が広く刈られている。急坂で、補助ロープも出てくる。大石が多く、道をふさいでちょっと厄介だ。登山口から約10分で、左に三貂嶺山山頂への道が分かれる。少し進み、10時55分山頂(標高550m)に着く。頂上の草はきれいに刈り取られ、北方向の福隆や雪山尾稜の山々が遠くに連なる。分岐にもどり下り始める。三貂嶺山から三貂大崙への道は、三貂嶺山から西側に下り、山腹をまいて稜線に戻る。おそらく稜線をそのまま進むのが困難なので、このように巻いていく道が開かれたのだろう。この巻き道でも、岩場や急坂が多く現れる。下り始め十数分で稜線上に戻る。本来厄介な林投の灌木も、道整備の時にずたずたに切られている。小さなこぶを過ぎ、また登り返す。11時29分、カヤに囲まれた三貂大崙山頂(標高505m)に着く。

三貂嶺山山頂
雪山尾稜が望める
三貂嶺山から下る
三貂大崙山頂
瑞德宮へ下る
稜線道を進む。先に下り、また小ピークを登り返す。樹木がない場所から、背後に歩いてきた三貂嶺山と三貂大崙が続いている。その遠く右側には、燦光寮山と草山が見える。小ピークを越えると下りが始まる。前方には、今度は平溪の山々が重なっている。11時54分、登山道から保線路に出る。引き続き下り、12時に北37号線わきにある瑞德宮につく。ここで昼食休憩をとる。屋根の下だが、風が吹かないと暑い。

下り道から望む平溪方向の山々
瑞德宮と境界の石塔
12時45分、出発する。廟のすぐそばが、瑞方區と雙溪區との境で、大きな標識塔がある。建てられたのは、新北市が台北縣のころ1991年だ。地図上には、右に近道があるようだが、行ってみると草が高く生え、歩けそうもない。そこで舗装路をさらに下っていくと、右遠くに小高い山が見える。山名はないが、メンバーは猫のように見えるという。確かに、目や口などがあり猫の頭に見える。13時2分、右に石壁坑產道が分岐する。少しいくと、右に金網の門がある道がある。標識リボンもある。先ほどの近道はここに下ってくるのか。

猫山(?)左側が猫の顔に見える
鉄の門を過ぎて滝に向かう
左に道を分け、少し登り返す。左に頂坑山への登山口があるはずだ。ところが、それらしいものは草に埋もれている。暑い中や藪漕ぎして登るのも大変なので、今回は登るのをやめる。すぐ右に道が分岐する。和風の屋という看板がある。すぐに民家が現れ。犬がいきよいよく吠え掛かってくる。左に鉄の門がある道を下っていく。家屋の脇を通り過ぎ、谷にそった山道が始まる。右下に夢幻瀑布が見える。13時20分、夢幻寺からの道に合流する。右に降りる階段を下り、滝の下に着く。滝は水量が多く、落差も大きい。見ごたえがある。基隆河の対岸には三貂嶺瀑布群として大きな滝が三か所あり、歩道もあって人気コースだ。こちらは、それに比べるとひっそりしている。

夢幻瀑布と右に石段
夢幻寺
約30分ほど休憩し、階段を登る。滑りやすい濡れたコンクリの道を進む。14時4分、夢幻寺につく。左に車道がいくが、山道は右に下る。緩やかな道を進み、車が止めてあるのを見て下る。聖泉寺を過ぎ、さらに進む。新しくペンキが塗られた百靈廟を過ぎる。14時26分、登山口に降りたつ。金字橋の脇から下り、下の民家脇にでる。そこで長靴などを洗う。鉄道橋を渡り、14時37分に三貂嶺駅に着く。14時41分、區間電車がやってきた。

夢幻瀑布步道口はすぐ下だ
活動時間は約6時間だ。今回は休憩時間をかなり長くとった。天気がよく暑いので、しっかり歩くより、楽しんだほうがよい。距離は9㎞、累計の登りは560mだ。夢幻瀑布は、ひっそり隠れた滝で、あまり知られていない。穴場かもしれない。稜線道は、草がしっかり刈られて、現状であればレベル3だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿