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土庫岳山頂一等三角点(コンクリ囲いの中) |
10月末~11月初の大型台風康芮は、台湾に大きな被害をもたらし、気象史上まれな秋台風であった。筆者は、この台風来襲のために帰国を延期し、直接その威力を体感することがなかった。しかし、今回の山行で、最近はあまり人が歩かない三腳木山から三腳木山西峰へと縦走をしたときに、その威力の大きさを体験することになった。山道には、次々と倒木が現れ道筋を塞ぎ、進路の確認から倒木を避けて通り過ぎることまで、余分な労力を強いられた。
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北側から南へ |
土庫岳は、台湾北部で一等三角点がある五座のうちの一座である。山容や歴史文化的に特異な存在ではないが、標高398mで地理的にも都心から遠くなく、手軽にハイキングができる山である。台北市親山歩道が整備され、道の状態や道標などがよい。その隣にある山豬窟尖やそのふもとの山豬涙湖などの道は、ボランティアによって整備され、こちらも一緒に歩くことができる。
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密生するシダと倒木で道筋ははっきりしない(三腳木山西峰付近) |
一方、
三腳木山は台北市街地東端にある南港山山系の背後にある山並みであり、位置的には土庫岳から南に一度下って登り返す位置である。稜線を追っていけば倒照湖山へと続く。本来あまり人気のある山ではないが、三年前にボランティアの道整備があり、
一時期は多くの登山者が歩いた。その後は、だいぶ少なくなっているようだ。今回は、三腳木山から倒照湖山へ縦走する予定であった。ところが、歩くことが少なくなった草深い道に、台風による倒木が重なり、通過にかなり多くの時間を取られた。そのため、縦走途中であきらめ、大坑山の手前の暗部から深坑へ下山した。
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@土庫岳 |
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212番バスで舊庄二站に到着 |
今回は、台北市街の東端、舊庄二站バス停に9時集合である。212番バスで9時少し前に着くと、貴重な好天であることも後押ししたのだろう、20名もの山仲間参加があった。集合後、山に向かって川沿いの舊庄街を歩いていく。数年前に歩いたことがあるので、当時の記憶がある。バス停付近は新しい住宅があるが、谷間に入っていくと昔ながらの感じだ。時々車が往来する道を歩くこと約10分、更寮古道の入口がある。更寮古道は土庫岳の下をぐるっと回るので、さらに先に別の登山口がある。我々は、さらに舊庄街を歩いていく。
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舊庄街二段を山に向けて歩く |
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栳寮古道口 |
9時27分、更寮古道の支線とでもいうべき栳寮古道(手持ちの地図上では腦寮古道)入口に着く。ここから山道が始まる。石段道を数分登ると、分岐がある。先に左にとり、道の終端にある、錦興煤礦通風口遺跡を見る。脇に説明があり、当炭鉱は1956年から14年間操業されていたという。この炭鉱は、
11月に登山ルートガイドで紹介した和興煤礦と同じ鉱脈を採掘したのだろう。その昔は、平溪へ向けて多くの炭鉱が操業されていた。
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錦興煤礦通氣口(説明版の右の小さな穴) |
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栳寮古道の終点(右に石の表示) |
山道に戻りさらに登る。9時50分石畳道が終わり、民家の脇を登る。その先に日本時代に砲台が設置されていたとされる場所に涼亭がある。この地は、台湾ウーロン茶の一種になる包種茶の発祥の地である。涼亭の前の民家は、その包種茶の発展に寄与した魏靜時の故居とのことだ。車道の曲がり角から、また石段で坂を上り切り、上の車道に登る。急な坂をしばらく行くと、石段の更寮古道入口が右に開いている。10時6分、歩き始めて約1時間、石段を登る前に休憩をとる。
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親山歩道の道案内 |
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車道に上がる |
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更寮古道口 |
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石段道を登る |
石段道はしばらく登り、左に送電鉄塔を見ると一度谷に下る。沢を二か所の橋で越え、更寮古道から分岐してくる道と合流する。左にまた急な坂を上ること十数分、10時34分土庫岳山頂への道の分岐に来る。左に少し登ると山頂だ。以前二回ほど登頂しているが、その時はともに山頂周囲は樹木で囲まれ展望がなかった。ところが、今回樹木はすべてなく、遠くまで展望がきく。北部の一等三角点を有する山のうちの三座が遠くに見える。それぞれの直線距離は約30キロ内外のようだ。ほかの三座とは、
新店獅子頭山,
樹林大棟山,
七星山である。最後の
燦光寮山は、雲の中で見えない。
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谷底の沢を橋で渡る |
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左に山頂へ登る |
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土庫岳山頂 |
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遠くに獅子頭山が判別できる(赤枠) |
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ベンチ脇を右にとって進む |
ほかの登山団体が去り、しばらく涼亭がある山頂で休憩する。11時6分、先ほどの分岐へ戻り、左に枕木階段道を下り始める。少し下り、分岐を左にとってさらに下る。深坑へと下る道である。分岐から数分下ると、土の細道が道標のところで右に分岐する。そのわきにはベンチもある。この細い道をとって下り、11時18分山豬淚湖の脇に着く。この池は、人造の貯水池のようだ。谷間の池は、湖面に青空を映している。
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山豬淚湖 |
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保線路の分岐 |
池からさらに下り、谷間を通う保線路に合流する。分岐には古い道標がまだ残っている。右にとって登り返す。11時32分、登り切ったところは送電鉄塔がたち、そのわきには山豬窟尖(標高356m)の基石と山名板がある。ここは、更寮古道の涼亭脇からもやってこれる。山頂から、稜線道を進む。一度下り登り返すと、山豬窟尖西南峰山頂(350m)である。山頂の大きな石の上に登ると展望ができる。脇には古ぼけた山名の角柱がある。かなり昔の道標だろう。
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向こうに鉄塔が見えた |
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山豬窟尖の基石がコーナーにある |
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山豬窟尖西南峰山頂 |
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大石の上から台北市街と背後の觀音山(左)と陽明山を望む |
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急坂を下る |
山頂から急な坂を数分下り、鉄塔に下る。時間は12時を少し回り、ここで昼食休憩とする。鉄塔下は日向で、今日のような10数度の気候では、日差しがありがたい。稜線では風を感じるが、ここはあまり風がない。すぐ下には保線路との分岐があり、我々の少し前を歩いていた登山団体がそこで休憩をとっている。
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送電鉄塔の下に出て休憩をとる |
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倒木がすぐに出てくる |
約半時間の休憩後、分岐へ下り右へと下っていく。この道は保線路で、本来状態がよいが、今日は倒木がすぐに表れる。上記の台風が残した爪痕である。とげとげの黃藤がトンネルのようになっており、その下をはって通り過ぎる。さらに下り、別の送電鉄塔脇を過ぎる。登頂した山の名前の由来である山豬が掘り返した道端を過ぎる。13時4分、分岐に来る。直進する道は、地主によって塞がれているという。そこで左にとり、風格街へ下る。出た場所のすぐわきはバス停がだが、F711新巴士は休日は運休のようだ。
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とげとげの黃藤トンネル |
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山豬が掘り返した跡 |
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この分岐で左へ下る |
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峰各街へ出た |
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深港路 |
風格街を下り切り、深港路へと出る。右に少し登り返し、左に福音山莊へとつながる登山口を見る。
10年前にこの道を下ってきた登山口である。当時ははっきりした道筋の山道であったが、今日は草にすっかり覆われ、ほとんど人通りがない様子だ。ちょっと戸惑ったが、草のかぶさる道を歩き始める。歩き始め、すぐにそれを実感する。数分で分岐がある。3年前の道標は二つの道を示す。右にとって進むとまもなく道筋が消えた。戻って別の道を進む。
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山道入口 |
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草深い道 |
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道標、右は行き止まり |
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竹林で道を探す
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道はそのうち竹林に入るが、竹が多く倒れ踏み跡もはっきりしない。地図で方向を見定め、ところどころに現れるマーカーを頼りに進む。登っていき、少しくだると大きな墓のある墓苑末端にでた。そこからは墓苑内を進み、左から登ってくる車道を登る。かなり急坂な道は、稜線上部へと続く。切れたその先は、草が密生する中を強引に進み、14時8分福音山莊敷地内の末端にある家屋脇へと出る。登山口から実に45分を要している。
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墓苑の端部に出る |
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前方上部に福音山莊の建物が見える |
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やっと山荘区画内の車道に出た |
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石碑手前に基石 |
住宅建築工事などが進行中の敷地内を進み、福音山莊の銘板石碑前に来る。三腳木山の基石は、この石碑の前に隠れている。福音山莊は外部者の立ち入りを望まないようだが、住宅はまばらで住人は見かけない。ここまでの山道がかなり荒れていたこともあり、ここでメンバーのうち6名が、先に下山していく。
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陽明山方向を見る |
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山荘敷地から入った縦走路もこのありさま |
残り15名で、縦走を続ける。敷地内を通り過ぎ、少し下ったところからまた山道が始まる。この道もかなり荒れている。草が多いだけでなく、すぐに倒木が次々と現れる。倒木をまたいだり、倒木とともに倒れた草木などが道をふさぐ場所は迂回して進む。道筋がはっきりしない場所は、進んでまた戻るということも、たびたびだ。台風襲来の時は、かなり強い風が吹いたようだ。根こそぎ倒れている樹木も少なくない。
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草深い縦走路 |
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倒木が道をふさぐ |
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畑のある鞍部 |
畑が設けられている鞍部から登り返す。やっとのことで、15時に鉄塔脇の三腳木山西峰山頂(290m)に着く。
三年前の7月に通った時は、暑さに参ったが、今日はまったく別の苦労である。時間も多めにかかっている。次に大坑山を目指し下って、また登り返していく。こちらも道筋ははっきりしないし、相変わらず倒木が次々現れる。15時半、筍畑の上部にでる。畑下部の分岐で休憩をとる。
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西峰へ登る |
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三腳木山西峰山頂 |
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根こそぎ倒れた樹木 |
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竹林も多くの倒竹 |
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通り過ぎるのに苦労する倒木 |
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筍畑の鞍部に出た |
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良い道を下る |
今の時期は日暮れが17時少し過ぎだ。このような道を進んでいくと、下山時には日暮れを過ぎて過ぎてしまう恐れがある。そこで、縦走は中止しここから下山とする。筍畑へ通う道は、農夫がいつも歩いている道で、状態はとてもよい。15時45分下り始め、数分で車道の萬福路へと降りる。下りの車道をどんどん下る。途中新巴士のバス停を過ぎる。ここも休日は運休である。
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萬福路へ降りる |
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車道を下っていく、右にバス停 |
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最後の山道 |
さらに下り16時11分、淡蘭古道の支線一部とされている土道に入り、下ってまた車道に降りる。そこから工業団地ビルの脇へ降り、すぐに北深路上の草地尾バス停に16時22分にたどり着いた。北深路のバス路線は多く、メンバーはそれぞれ便利なバスで帰途に就いた。
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深坑の街はすぐだ |
距離約12㎞、所要時間は7時間10分である。後半の悪路のため、予定より時間を要した。累計登攀は約700mだ。都会近郊のこうした山でも、台風の後などはかなり苦労する体験であった。ただ、里が近いので逃げ道などもあり、気分の上では楽である。これが山深いところであったら、万全の事前準備が必要だ。
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