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台湾最南端鵝鑾鼻の岬を望む大山母山山頂 |
台湾の山岳は非常に多くの山峰を抱える。どの山を登るのか、その案内となるのが
百岳や小百岳である。日本の百名山と同じように、百座を数える。全部を登ろうとすると、それなりに時間と費用が掛かるが、登山の励みにもなる。小百岳は、離島も含む台湾各地を代表するような山を選定し、なおかつそれほどの体力や経験がなくても登れることが条件となっている。筆者は、特に意識せずに登った山が実は小百岳であったということもあるし、またそれを目標に登ったこともある。後者の場合は、特に今まで訪れたことがないような山域を知る目的もある。
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訪れた五座の位置と歩行高度プロファイル |
今回四日をかけて台湾最南部の小百岳を訪れた。この地域には、もちろん多くの山があるが、小百岳は選定の案内となる。台湾の地形は、少し東寄りに台湾島を南北に走る山脈がある。一方西側は丘陵や平地が広がる。高雄からさらに南下すると、平地は少なくなり山が迫るが、最南端の3000m峰
北大武山からずっと高度が下がっていく。この部分に今回訪れた小百岳の大山母山(標高 325m)、里龍山(1062m),女乃山(804m)そして棚集山(899m)がある。はじめに訪れた高雄の觀音山(177m)は別地域である。
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棚集山にて |
アクセスについては、九人乗り貸切車両で台北から南下し、高雄で觀音山に立ち寄ったあと、最南部の恆春にある大山母山を訪れた。翌日は北上して里龍山、三日目は女乃山、最終日は棚集山を訪れて、その後台北へ帰った。当初の予定では、尾寮山へ登る予定があったが、天候の心配などで今回は登らなかった。まだ、南部の小百岳も残っており、いずれはまた訪れるつもりだ。ただ、これら小百岳は標高があまり高くなく夏には暑く、南部の天候が安定している冬までまっていくことになるだろう。
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3月2日(日)台北→高雄觀音山→恆春大山母山→恆春泊
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大覺寺登山口から往復 |
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夜明け前5時に台北を出発 |
台湾の西側は、交通が発達し新幹線を利用すれば、1時間半ほどで高雄へ行ける。今回は、費用や利便性を考え、台北から貸切車両で行動した。早朝5時に台北を出発、途中で一名のメンバーを拾い、一路高速道路を南下する。今日は、三連休の最終日である。北上してくる車に比べると南下する車は少ない。
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第三高速道路關西近くで雪山山脈のシルエットを見る |
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第10高速から見る台湾南部高山の山並み |
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觀音山登山口に着いた |
9時15分、高雄の左営駅に着く。途中で乗車予定だったメンバーが寝過ごして乗れなかったので、急遽新幹線でやってくることになり、ここでピックアップする。9時半過ぎに無事ピックアップして、都合八名で觀音山へと向かう。觀音山は、高雄市街の北東となる大社區にある。駅からは第10号高速道路経由で20分ほど、10時5分に大覺寺登山口についた。觀音山という名の山は、実は台湾には多い。台北付近の
八里觀音山も小百岳の一座である。また
台中には同じく小百岳の南觀音山がある。標高は177mと低いが、屏風のように長く伸びる尾根がぐるりと取り囲み、多くの山道が続く。実に特徴のある山だ。
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觀音山山頂三角點へ直接続く山道 |
台湾の冬は、北部と南部ではかなり差がある。北部では、冷たい東北季節風で気温は10度代、なおかつ雨が多い。一方南部では、天気が良い日が多く、気温も高い。冷房の車から出て、歩き始めると十数度の温度差を如実に感じる。眩暈がしそうだ。屏風のようにそそり立つ觀音山への道は、急な階段とロープのかかる岩壁登りだ。もちろんそれ以外の道もあるが、大覺寺からの登山道が觀音山山頂への最短路である。
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急な坂を登る |
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ロープの急坂 |
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登攀途中からの風景 |
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中央の最高点が觀音山山頂 |
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山頂直下を登る |
つい二日前に台北近郊の瑪鋉山や大武崙山を歩いた時は、晴天であったが温度はそれほどなく、実に快適であった。ここは、歩くとすぐに汗が噴き出す。樹木があまりない細い尾根道は、高度が上がるとすぐに高雄市街が眼下に広がる。20分ほどで、觀音山山頂に登りついた。シャツを脱ぎ、ズボンの半分下をとって半ズボンになる。山頂の展望デッキのすぐわきには、日本時代に掘ったという防空トンネル天洞朝墩の入口が開く。また近くに涼亭が二つデッキを挟んで両側にある。
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山頂のメンバー |
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天洞とその脇の涼亭 |
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遠くに高山がうっすらと見える |
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登山道は改修工事中 |
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稜線上の四角亭 |
山頂に登ったが、それだけではつまらない。屏風のように続く尾根やその谷間を歩く。道は整備され、階段や手すりが続く。遠くに
霧頭山から南大武山への山並みがうっすらと判別できる。下っていくと、ちょうど歩道補修工事のために仕切りがあるが、登山者はその脇から関係なく入り歩いている。我々も同様にそのまま歩き、また登り返す。急に気温の高い中を歩くので、余計につらい。暑さに体がまだ慣れていないのだ。
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四角亭からの景色 |
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稜線上の歩道 |
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別ルートで下山 |
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觀音山山頂直登道の尾根を見る |
四角亭から高速尾山へと進む。そして觀音山山頂へと戻り、涼亭で一休みする。この山塊の南には、長野山、高崎山、富山、立山など日本の地名を冠した小ピークが並んでいる。しかし、午後にはできるだけ大山母山を登っておきたい。休憩後は、大覺寺登山口へ別の道で下った。標高170mに過ぎない山だが、上り下りを繰り返したので、累計で230mほど登っている。距離2.3㎞、2時間20分であった。別の機会に、また訪れて大きく回遊するのも面白いだろう。
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台湾最南端の一等三角点を有する大山母山 |
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高速道路から降りさらに南下する |
12時20分過ぎ、次の目的地恆春に向けて出発する。第10高速道路から第三高速道路を南下、林邊で一般道路に降りてさらに南下する。枋寮,枋山,楓港,車城と進む。上り方向は、連休最終日なので車が多いが、下り線は少ない。14時過ぎ恆春バイパスを通り、14時28分台26線公路から少し登ったところにある、共同墓地わきの登山口についた。
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北上する多くの車をさばくため、一車線を上り用に臨時変更 |
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共同墓地わきの登山口 |
ここまで南下すると、さすがに南国である。碧い空に青い大海原、普段見慣れたのとは違う景観が広がる。登山口わきには墾丁國家公園による、まだ新しい案内板がある。登山道は、もう一つの赤牛嶺登山口からここ南灣登山口までの8㎞縦走路だが、我々は1.7㎞先の大山母山山頂を往復する。
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登山道案内板 |
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まばらな低灌木帯を進む、 0.5K地点 |
低い灌木がまばらに生える緩やかな道を登っていく。道は乾いている。台湾南部は冬は渇水期である。ところどころ、水が削った深い溝がある。0.5㎞ごとの里程ポストを見て、約20分ほどで坂が急になる。サンゴ石が道の一部に現れる。森も樹木の密度が増す。15時25分、登り詰めた先に山母山山頂が現れる。登山口から一時間足らずであった。
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路面に現れたサンゴ石 |
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海を背後に登る |
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1K地点 |
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山頂の三角点 |
当座は恆春半島南部の最高点になる。山頂には一等三角点と一等衛星点がある。周囲の樹木はそれほど高くないが、南方向には展望が開ける。遠く台湾最南端鵝鑾鼻の灯台や、その手前にある顕著な三角ピーク大尖山が、視線を引き付ける。山頂から少し進んで下がったところでは、反対(北)側の展望が開ける。
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北側のパノラマ、恆春の街方向を望む |
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南側のパノラマ、最南端の鵝鑾鼻方向を望む |
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山頂の筆者 |
約30分ほど過ごした山頂をあとに、往路を下る。時刻は16時少し前、まだ空は明るい。雲がかかってきているが、天気は問題ない。天気予報では、寒波の到来で下り坂というが、ここまでは影響がないようだ。16時35分、登山口に戻った。往復3.3㎞、休憩込みで2時間強、上昇は約220mである。登山口から台26線へ下り、恆春の街へ行く。街中の飲食店で夕食を済ませ、19時前に街外れの民宿に投宿した。
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大きなガジュマル樹のわきを下る |
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海を見て下る |
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恆春の民宿に投宿 |
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3月3日(月)恆春→里龍山登山口→里龍山山頂往返→楓港泊
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里龍山、登山口から山頂を往復 右上の丸は女乃山山頂
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里龍山山頂は雲の中 |
朝五時起床、6時に出発する。日の出はまだだが、空はすでに白み始めている。台26線公路を北上、龍峰寺/鯉龍山人文紀念館方向へ登っていく。7時に登山口についた。里龍山は、この登山口以外に南側に竹坑溪を進む道があるが、あまり歩かれていないようだ。これから歩く道は、林業及自然保護署がメンテする登山道である。ほとんどの登山者は、この道経由のようだ。
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登山口案内板 |
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岩の道 |
広い道は、少し進むと幅が狭まり、表面に岩が現れてくる。十数分でがけ崩れがあった場所を乗り越え、また進む。あまり勾配のない山襞を進む道は20分ちょとで1Kキロポストを過ぎる。その先に、阿公的平台と名付けられたちょっと平たい場所がある。阿公とはおじいさんのことだ。メンバー中、男性で孫がいるのは筆者だけなので、さしずめ自分の小広場ということだ。
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高巻を降りる、左は下里龍山の壮絶な絶壁 |
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1K地点 |
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阿公的平台 |
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谷が迫ってくる |
そのうち橋を越え、右側の谷が迫ってくる。7時39分、右に沢へ下っていく道の分岐を通過。この道は沢沿いに進み、その先で左側の道とまた合流する。先に左の道を進む。この道は谷の右岸にある大岩壁の上を超えていく、高巻道である。高度差80メートルほど登り、ベンチのある小休憩所を過ぎると下っていく。2Kのキロポストを過ぎ下りきったところは、橋が架かっている。この橋は昨年秋の台風で土台が壊され、現在は通行不可である。さらに下り沢底に降りる。先ほど分岐の道が右から合わさる。ここで一休みをとる。
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谷底道(右)と高巻道の分岐 |
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高巻道の橋 |
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大岩壁の上を登る |
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2kを過ぎる |
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通行不能の橋と迂回路の表示 |
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橋の左側土止め壁が崩落、橋の下の迂回路 |
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ロープ手すりが張り巡らされた山道 |
休憩後、8時18分壊れた橋の下を通り右に登って橋の対岸に登る。ここからまた通常の登山道だ。山道は本格的に上り坂になり、ジグザグに登ったあとさらに高度を上げていく。両脇にロープの手すりがしっかり取り付けられおり、登山道メンテの程度がとてもよい。破損橋から登ること約20分、高度差約200m弱を稼いで峠を越える。右には、下里龍山への道が分岐するが、この道は官製歩道ではない。数分下ると、8時44分立派な涼亭やたくさんのピクニックベンチが設けられた休憩所につく。標高約620m、距離で約2.7㎞、まだまだ多くの上りが待っている。
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峠部分、道標後ろに下里龍山への道が分岐 |
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涼亭と多くのピクニックベンチのある休憩所 |
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まっすく進む道は竹坑溪の登山道 |
しばしの休憩後、最後の長い一本調子の登りにとりかかる。渇水期であまり水量のない沢を渡り、いよいよ急勾配が始まる。多くの登山者が歩くので、道の表面がかなり掘りこまれているところもある。9時半、標高820mの3.5Kキロポストを見る。土は少し湿り、赤土が目立つ。さらに登ること20数分、4Kキロポストを見て少しで勾配が緩くなる。路面はぬかっているところもある。最後の少しの急坂を登り、10時に明るい山頂(標高1062m)に飛び出た。
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急坂を登る |
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樹根坂が続く |
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3.5K地点 |
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湿った路面の山道 |
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ぬかるみを過ぎる |
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里龍山山頂 |
恆春半島最高峰山頂の一方は大きな岩である。その上に登ると眼下にバーシー海峡へと続く海岸線と大海原が広がる。北側の遠くは、中央山脈の高山などがあるはずだが、雲の中ではっきりしないのはちょっと残念だ。明日登山予定の女乃山も、手前の山を挟んで北へと広がる山並みの中にある。全員が登り切り、ゆっくりと山頂で休む。そのうち二人の単独登山者が登ってきた。
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大岩の上から西側を望む |
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南側のパノラマ |
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登頂のメンバー |
50分近く休んだ山頂をあとに往路を下る。下ったすぐ右に山道が分岐するが、この主稜線を行く道を通る登山者は少ないだろう。ぬかるみの道を過ぎ、乾いた路面になるとホッとする。急坂は、下りは速い。50分ほどで涼亭の休憩所に戻りついた。これで今日の主要部分は完了した。この場所は、比較的平らで沢もすぐ近くにある。沢から引いた水道蛇口もある。ここでも1時間20分近く食事をしながら休憩する。
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どんどん下る |
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手すりもあり下りは速い |
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休憩所の沢から引いた水道 |
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2.5K地点 |
13時、いよいよ残り2.7㎞の山道を下り始める。少し登り返し、峠を下るとあとは下り一本だ。破損した橋の下をくぐり、沢沿いの道を進む。左岸を行く道は途中高巻部分がある。対岸に往路で高巻した大岩壁が高い。最後に沢を渡って対岸に登る。13時46分、分岐についた。ここからは、往路の道を下る。10数分下ったところで、メンバー一人が転び運悪く路面にあった針金が手のひらに刺さってしまった。応急で対応し、さらに下る。14時20分登山口に戻りついた。
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谷底道 |
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谷底道も状態はよい |
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大岩壁を見上げる、上部に往路で歩いた山道 |
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残り僅かだ |
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枋寮醫院 |
けがの対応で、病院に向かう。近くの車城の診療所では破傷風の注射ができないため、さらに北上し枋寮の病院に行った。彼が治療を受ける間近くで待つ。メンバーが果物やその他を買ってきて、シェアしながら時間をつぶす。約1時間ほどで治療が終了し、本日予定の楓港へとまた南下する。17時少し前に、隆安旅社へ投宿した。シャワーなどを浴び、18時半過ぎに全員で近くの食事処で夕食をとった。お店はとても親切だった。
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楓港へ戻る、里龍山山頂が頭を出している |
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夕食の食事処 |
キロポストによれば往復で8㎞強となるが、GPSの記録では7.3㎞である。休憩を合わせて2時間強とっているので、活動時間は7時間20分だが、実質は往復で5時間弱だろう。累計登攀は830m、コース定数は20である。
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3月4日(火)楓港→女乃山登山口→女乃山山頂往返→美濃泊
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女乃山、左下の丸は昨日登頂の里龍山 |
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6時に隆安旅社を出発 |
昨日と同じ5時起床、6時出発である。一昨日の夜、台北は大雨で雷が鳴って寒波到来による天気は下り坂ということだが、ここ南国屏東は晴れである。楓港溪に沿って台26線南迴公路を東に進む。谷あいにはところどころ原住民の部落が現れる。進むにつれ、谷幅が狭まる。6時20分、伊屯部落の入口を通り過ぎ、間もなく大きな原住民人形のある登山口駐車場に来る。わきの道を少し登り、無人の民家脇で下車する。
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台26線南迴公路を進む |
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ここから登山 |
支度をして6時半過ぎに出発、道はすぐにコンクリ板を敷き詰めた上り坂になる。10ほどで急坂が現れ、登りきると林道に出る。過去に道の整備は行われたようだが、昨日の里龍山に比べると差が大きい。里龍山登山道は、良すぎるぐらいなので当然か。林道はそのうち終わりになり、谷に沿った道を行く。谷の奥に山が見えるが、目的の女乃山はその奥のようだ。7時、少し開けたところで小休止をとる。
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石板の上り坂 |
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谷に沿って進む |
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渡渉点 |
さらに少し進むと谷に下り、沢を渡って左岸にとりつく。7時23分、道は沢に下り、伏流の谷底を登る。かなり大きな岩も転がる谷底道は、朝もまだ早いので薄暗い。ケルンもいくつかある。谷底を歩くこと数分で、また右側に登り沢筋から離れていく。山腹をトラバースする、廃棄林道のような道を歩くこと約10分、道はまた小さ涸沢に入る。その少し先でかなりの急こう配の坂を登り、山道が続く。
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伏流沢の谷底に降りる |
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沢底を登る |
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沢から離れる |
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廃棄林道のような道を行く |
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涸沢わきから急坂を登る |
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朝陽の坂を登る |
朝陽が差し込む雑木林の急坂を登る。このセクションは急坂が続く部分だ。ロープのかかる坂も多くある。8時半、坂道が終わり緩やかな上りが始まる。標高約650mだ。それと同時に今まで乾いていた路面は、かなりドロドロの部分が現れる。昨日の里龍山でもぬかるみがあったが、はるかに湿っている。あまり陽が当たらないようだ。緩やかな坂を登ること約25分、廃棄された電波反射板の下を通過。さらにぬかるみ道を10分ほど進み、9時8分山頂(標高804m)に登りついた。今日は登山靴なので、足元は泥だらけだ。
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ロープの急坂を登る |
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一部平らになる |
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急坂が終わり少し開ける |
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ぬかるみ道 |
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廃棄電波反射板 |
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女乃山山頂 |
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南方を望む、牡丹水庫ダムの湖面が見える |
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山頂の筆者 |
樹木に囲まれた山頂は、南国の陽光が差し込むが、景観は樹木が少ない南側に望めるだけだ。昨日里龍山山頂から見えていた牡丹水庫ダムの湖面が青い。ここは牡丹鄉である、そしてこの地は日本と台湾の近代史上大きな接触点であった。それは日本の明治初期 1874年に起きた牡丹社事件である。三年前の1871年、台風のために船が沈没し、沖縄宮古島民が太平洋側の海岸に漂着した。当初は、排灣族原住民に助けられたが、その後言語や習慣の違いで衝突が発生、結果宮古島民は全員首をかられた。日本側は、それを理由に出兵し原住民との戦闘があった。この事件には、その後第五代台湾総督となる佐久間左馬太が参戦し、功績をあげている。
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西側の景観 |
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ここから急坂 |
10時少し前、山頂をあとに往路を下る。滑らないように注意して下る。途中西側が少し見える場所がある。10分ほどで、廃棄電波反射板を通過、10時半急坂の最上部に戻る。急坂をどんどん下り、11時山腹トラバース道に降りる。さらに進んで伏流谷底に下り、11時24分、最後の渡渉点に降りる。ここで休憩し、靴を洗う。このような道は、実は長靴のほうが適している。
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伏流沢を下る |
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渡渉点で靴を洗う |
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沢沿いの道を下る |
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最後の急坂 |
残りはわずかだ。沢沿いの道を進み、林道から最後の坂を下って12時少し過ぎ、車が止まっている出発点に帰った。12時半、台26線を戻っていく。沿路スイカや玉ねぎを販売している。立ち止まりスイカを食べる。シーズンのスイカに比べれば、甘みがもう一つだが、この地ならではのスイカだ。楓港から北上、途中13時過ぎに公路沿いのレストランで昼食をとる。食事後さらに北上、高雄市美濃の街で少し買い出しをし、16時40分投宿の玉隆宮についた。この廟の焼香客宿泊施設に泊まった。
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南迴公路わきの登山口 |
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道端の玉ねぎ・スイカ売り |
登山道がぬかっていたことを除けば、今日の登山は楽であった。距離は6.5㎞、休憩を含んで5時間50分。休憩も結構長かったので、実質は4時間半ぐらいだろう。都合630mほど登っている。コース定数は18だ。
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3月5日(水)美濃→來義丹林棚集山登山口→棚集山山頂往返→台北
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A路線を上りB路線を下る8字型ルート |
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朝起きると天気は悪くない |
昨日美濃まで北上して宿泊したのは、近くの尾寮山を登る予定であったからだ。ところが昨日夕方大雨が降った。そのため、標高が高くまた距離も長い尾寮山をやめ、また約1時間ほど南下することになるが棚集山に急遽変更した。出発時間もそれに合わせ6時とした。5時に起床してみると、天気は悪くない。しかしすでに変更を決めていたので、6時に來義鄉へ向け出発する。
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泰武で見かけた台灣日本冰 |
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笠頂山付近を進む |
沿路3年前に訪れた
笠頂山の前を通り南下する。また10年近く前に登った
北大武山の麓である泰武を通り過ぎる。道端に台灣日本冰という宣伝が出ている。これは日本時代に台湾原住民が日本兵(高砂義勇隊)として南洋のジャングルで戦った史実をもとに、兵=冰が同じ音であることを利用してのアイスクリーム商品である。北大武山の山頂に残る神社近くには記念碑がある。川にかかる橋を越え、7時15分丹林部落に入り、登山口に着いた。
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左の山が棚集山、この橋を渡れば丹林部落 |
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登山口 |
棚集山の名前は、地元原住民の地名タナシュウに日本語読みの漢字をあてたものだ。このような名づけの山は原住民が居住した山には多い。登山道はいくつかあり、もっとも多く歩かれているのは、A・B路線と呼ばれる二つの道である。我々は、このA路線を登り、B路線を下る予定だ。歩き終えると、軌跡は8の字を描くことになる。7時25分、歩き始める。すぐに涼亭とまだ新しい説明板が設けてある。登っていくとすぐに送電鉄塔のもとで視界が開ける。高屏平野のへりに位置するこの山からは、広い平野が眼前に広がる。
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登山口の説明板 |
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送電鉄塔付近から見るパノラマ |
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林道のA路線 |
A路線は、幅の広い林道を上がっていく。山腹を行く道は、山襞を巻いていく。8時13分、A/B路線の交差点に着く。わきには大家亭と名付けられた休憩所がある。天幕で覆ったものだが、机も椅子もありしばし休憩する。地元民が設けたものだ。大家とはみんなという意味である。
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大家亭 |
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夫妻樹の小広場 |
休憩後引き続き、今度は山の南側になる山腹の道を追っていく。8時55分、夫妻樹と名付けられた樹木のある小広場がある。この端からはよい展望ができる。先ほどよりずっと広く平野が望める。昨日の大雨が空気中のごみを洗ったのだろう、遠くまでよく見える。東港の向こうの海には小琉球もうっすらわかる。小琉球とは沖縄でなく、台湾南部の小島である。その北のほうには高雄市街のビルなどもわかる。85階ビルがひときわ存在を示す。その右には、同じく小百岳の
壽山の黒っぽい山塊が伸びる。
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東港方向、海上に小琉球島 |
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高屏平原,左側海岸に東港、右端に高雄市街 |
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望遠で引き寄せた風景、右に85ビルと壽山 |
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山腹を進む山道 |
林道はここで終わり、細い山道になる。小沢を越す場所には、建築現場の足場踏板が橋として架かっている。ゆっくりと高度を稼いできた道は、方向を変え急坂が始まる。その方向が変わるすぐわきに先ほどの大家亭と同じように天幕を使った蘭園山莊と名付けられた休憩所がある。9時26分、椅子をかりて休憩する。
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蘭園山莊 |
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金属板の階段道 |
いよいよ山頂に向け落差約220mの登りだ。金属板を使った階段が続く。勾配が急なところは、ロープが取り付けられている。ひたすら登る。10時6分、勾配がゆるくなり前方に花壇が現れる。その先には休憩所がある。道脇の表示は山頂まで、あと1分とある。10時10分山頂(標高899m)に着いた。山頂の一角に天幕の休憩所がある、かなり広い山頂である。周囲は樹木で囲まわれ展望はない。
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小花壇、山頂はもうすぐ |
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棚集山山頂 |
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尾根上のB路線 |
これが今回の南部山行最後のピークである。ゆっくりと休憩し10時50分、B路線を下り始める。B路線は基本稜線上を行く山道である。はじめは緩やかな下り坂が10分ほど続き、棚集下山の基石(標高835m)を過ぎるころから急坂でどんどん高度を下げる。途中、A路線へと続く連絡道を分け、二カ所ほど開けた休憩所のある平らな場所を通り過ぎる。11時40分、朝に休憩した大家亭の交差点におりつく。時間が早いので、ゆっくりと休憩する。そのうちトカゲがやってきたが、まったく人を恐れず逃げない。
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棚集下山 |
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階段の急坂 |
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途中の小広場 |
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大家亭のトカゲ |
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地元住民がくつろぐ |
12時10分、さらにB路線山道を進む。大家亭は標高420mぐらいだから、残りは落差300m弱である。気温は高く、日差しは強い。ただ、それ程暑くは感じない。風があるからだろう。途中で二カ所の小さな登り返しを過ぎる。下りきって林道を下り、またそこから細い道をさらに下ると、古い登山路地図のある登山口に降り立った。そこから朝出発の登山口はすぐだ。12時55分、我々の車に戻った。距離7.1㎞、累計登攀750m、5時間半である。ただし、今日もかなり長い休憩をとっているので、実質は4時間20分ほどだ。コース定数は19となる。
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林道に出たところの涼亭 |
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丹林集落上部に出た |
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潮州の大家好小吃店 |
これから台北へ帰京する。その前に潮州の大家好という名の食事処で昼食をとる。気温は30度を超えているようだ。登山が完了し、気分が楽になる。ビールを開け、特徴のある料理に舌鼓を打つ。このお店は値段もよく味もよい。お勧めだ。14時半過ぎ、いよいよ台北に向けて長距離のドライブだ。途上西螺レストエリアで休憩する。17時を回るころ台中付近を通過。空には雲が厚くなる。台北の自宅近くには17時20分ごろに到着した。その晩台北では大雨が降り、気温も低かった。昼間は暑く閉口したが、青空の南部が懐かしくなった。
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台北近くは雨模様 |
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イカの姿焼き@楓港 |
四日間の南部百岳山行はこれで終了した。全体でいえば、ずいぶんと余裕のある楽な登山であった。また、暑いので行動中に半ズボンで行動することも多かった。寒い台北から南国へ行き、最初は戸惑ったが二日もたてばなれる。逆に寒くて雨の多い台北から離れたことがよく思える。台湾南部は冬は渇水期である。今後もこの時期に南部の山を訪れたいと思う。今回登らなかった尾寮山をはじめ、南部の未登小百岳はまだ3,4座ある。台湾東部の小百岳も数座ある。いずれは訪れてみたい。高山の一週間以上に及ぶ縦走は、今後は年齢も増し難しくなるだろう。しかし、山はいろいろだ。自分に合った山行を続けていくつもりだ。
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