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大屯山登山道から見る小観音山(2012/3撮影) |
陽明山の北側も、実は魅力あるコースが存在する。ただ、台北市内から行く場合は淡水や萬里などを経由して回りこまなければならない。当然アクセスも時間がかかる。そんなことで、なかなか行っていない。
昨年10月に、淡水天元宮から山子頂古道を歩いて以来、また北側からの陽明山山系登山に行ってきた。大屯溪古道から小觀音山へ登った。天候が曇り、頂上は霧の中で展望がなかったのが、残念だった。
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北側の北新荘から小観音山を越えて陽明山へ |
大屯溪古道は、小観音山から北に流れる大屯溪にそって行く古道である。この古道は、十数年前に発行された陽明山公園内の古道研究書では、古道という認定ではない。古道とされる要件の一つとして、二つの集落の間の往来に使われたという事がある。大屯溪古道は、最後に急な斜面を登り小観音山に続く。北新荘から竹子湖に行くには、このような経路は、決して楽ではない。したがって、二点間の往来に使われたのではない、という判定である。実際に歩くと、途中に石積の廃屋や、道わきに石を積み上げ棚田状になっているところなど、古人がここで生活の糧を得ていたことは確かだが、往来に使われたのではなく、作業道であったということだろう。登山活動として、沢の最奥から急斜面を登り、小観音山頂上へいくようになった、ということのようだ。
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陽明山の北から南へ歩いた軌跡 |
小観音山は、頂上に民放の電波塔などが多く造られている。大屯山との鞍部からこれら施設に続く車道が設けられている。西峰はそうした設備はなく、登山道が稜線を行く。この稜線が主峰への車道につながっている。大屯渓古道から 小観音山へ登った後、この車道で鞍部に下りる。そこから、百拉卡人車分道、さらに水尾巴拉卡歩道を下る。竹子湖路、青春嶺路、湖山道を経て陽明山公園、そして陽明山バスターミナルへ歩いた。
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三板橋 |
今回の行程は、かなりキツイ歩きになる。筆者とよく一緒に登る、HさんとWさんが同行する。淡水駅前の淡水客運バス停で落ち合う。7時40分発の875番バスで出発。 ソメイヨシノ桜で有名な天元宮を通り過ぎ、8時に北新荘に到着する。101号北新路を進む。歩き始めてすぐ右に三板橋古道の看板アーチがかかっている。田園風景がひろがる。左に廃棄された陶器工場の建物と煙突が目立つ。前方の山は雲がかかって頂上が見えない。龜子小橋を越してすぐ、右に行く道をとる。ゆっくりした登りが続く。棚田が広がる。三板橋を示す道標が現れる。道は方向を換え、谷に向かって進む。犬が吠える民家の先に、石碑がある。三板橋だ。清朝末期1871年に地元の郷士が建てたもの。今は左の車道橋が使われ、遺跡として残っている。もちろん通り過ぎることはできる。渡るとお手洗いなど、遊楽客に対応できる施設も設けられている。ここまで約2km、30数分の道のりである。
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産業道路の登りから見る、山は霧の中 |
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産業道路終點の石の廃屋 |
橋を渡り右に道を採る。最近メンテがされたようで、舗装が新しい。登って行くと、右に水牛が一匹たたずんでいる。サギも二、三羽いて、昔の田園風景だ。 数分登ると、右に折れる道が分岐する。大屯渓古道へ続く。右側に谷が広がる。その向こうには、山とその間の谷が見えるが、頂上は相変わらず雲の中。入っていく谷は羅厝坑溪だろう。民家のわきを過ぎ、道は迫ってきた谷の間を進む。勾配がキツくなってくる。陽明山国家公園の黄色い警告看板が建っている。ここから先は、危険で一般に開放された道ではない、となっている。左に大きな石積の廃屋がある。時刻は8時56分、北新荘から約1時間であった。
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大屯渓古道入口 |
沢山認識リボンが付いている古道の入口を進む。しばらくは、古ぼけたコンクリ道が続くが、そのうち土の道に換わる。沢を越える。ロープが掛けてあり、飛び石を超すには助かる。大屯溪古道は、とても程度のよい道だ。石段なども現れる。左岸から右岸、また左岸へと沢を越え、高度を上げていく。9時25分、沢沿いに開けたよい休憩地がある。ここでしばし休憩する。先ほど産業道路を歩いていた時、バイクで登っていった単独登山者は、写真を写している。同じく小観音山へ登るつもりだそうだ。今日、この古道上で出会った、唯一の登山者だ。
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静かな良い道が続く |
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迷い防止標識 |
休憩地から10分ほどで、また右岸に渡る。岸に陽明山公園が設けた、大屯溪古道防迷標誌という、標識がある。公園管理当局は、不用意な遊楽客がこうした道に入ってくるのを警告で防ぐと同時に、本当に歩いてくる登山者に対し、迷わないように対策をしているということだ。この防迷標誌は、そのあと小観音山の稜線道まで合計7本設けられている。沢を渡ると、けっこう登っていく。道が水平になると沢を越す。登りが急になってきたということだ。こうして右岸から左岸にに渡り、また左岸から右岸、そして左岸を行く。ここの渡渉の際には、少し遠いが立派な三段滝が見える。渡渉後大きく登り山腹の道を進む。谷底に、落差数メートルの滝が望める。10時9分、沢の水もほとんどなくなり、大きな二俣についた。標高約700mのここから、道は急な登りになっていく。ひと休みして登りに備える。
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補助ロープのある沢渡渉部分 |
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美しい三段滝 |
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滝を下に見ながら進む |
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沢の二俣部分 |
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熊笹のトンネル内急坂を登る |
二つの沢の間の尾根状道を登る。右に石積で囲った棚田状のものがある。草が生い茂っているが、以前は何かの目的に使用されていたはずだ。藍染料を採るために加工した場所だったのか。小觀音山主峰への道を左に分け、右に曲がって行く。しばらく山腹を横切って行き、熊笹の中を急坂で登るようになる。標高差200数十メートルの登りだ。笹のトンネルを進むので、道の上方がどうなのか全くわからない。今日は、霧のなかでそれほど気温が高くないが、夏の晴れの日ではこの道は、とても暑くてさらに大変だろう。補助ロープの急坂も二、三箇所現れる。ひたすら登るだけだ。笹の高さが低くなり、トンネルから出るようになると、しばらくして1056峰に到着した。11時13分、主峰への分岐から40分あまりの急坂登攀だった。同行者二人にも、キツかったようだ。今まで登った中でトップ5に入る。
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最後のひと踏ん張り |
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1056峰から西峰への稜線を見る |
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笹薮の稜線道、笹が刈られている |
大石のある1056峰からは、本来よい展望があるはずだが、今日は残念ながら霧の中。ときどき西峰への稜線が、現れては消える。第5防迷標誌には、真新しい藍天隊の道標が付けられている。それから先道は無しの公園管理極の標柱があるが、その先尾根を辿って下る道があるようだ。二十数分ゆっくり休憩した後、西峰へ向けて進む。また笹の中をかき分けて進む。大石が現れ乗り越える。道は笹薮のなかだが、稜線を忠実に追っていく。10分ほどで小觀音山西峰(標高1043 m)につく。三角点基石わきに、藍天隊の山名カードが置いてある。日付は2013年6月22日、先週のものだ。笹薮の道は、両わきの笹が刈り取られている部分があったが、つい最近藍天隊が刈ったものだろう。とても助かる、感謝したい。
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真新しい山名カード |
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霧の中の小観音山の車道 |
また、笹をかき分け進む。 道は下り気味だ。第7防迷標誌を見てまもなく、笹薮から飛び出し杉林の中の道になり、気持ちがはれる。密集した笹薮の道は、楽しいものではない。 下りきると、鞍部からの車道に下り立つ。ジグザグの車道を十数分下る。
大屯山との鞍部に着く。自家用車が多く停まっている。百拉卡公路を小8バスが行く。ここからバスで帰ることも可能だが、今日は歩いて陽明山バスターミナルへ歩く予定だ。鞍部気象台のわきでひと休みする。時刻は12時22分。のこりは、基本下り道だ。
12時半出発、人車分離道を進む。数分で竹子湖への分岐に来る。右にとり下る。石畳の道はそれなりに歩かれているようだ。緑の苔に埋まった陽金公路人車分道に比べると、状態はよい。蝉の声がとても大きい、上から降ってくるような感じだ。杉林を抜けると、前方が開ける。
七星山が見えるが、頂上は霧の中だ。12時50分、水尾巴拉卡步道入口に着く。ここも人や車が多い。竹子湖路を進む。三、四月であれば海芋が咲き、もっと人出が多いだろう。バス停で小休憩をとる。
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人車分道から竹子湖路へ下る |
バス停わきから枝道に入る。車道は人家で終わりになるが、わきの山道をとり進む。山道は人家の間(竹子湖路49号)で、竹子湖路に合流する。先に右に下ったが、この道は間違いと気づいて戻る。しかし、降りたとこから里公所のわきを更に進んだ道をゆけば、そのままあとで歩いた青春嶺路に出れたようだ。登り返して先ほどの民家を過ぎ、竹子湖路から青春嶺路へ進む。車道の良い道だが、あまり車が通らない。つづら折りの道を進むと、玉龍谷へ着く。小吃店があり、多くの遊楽客が食事をしている。また、急な坂を下り、湖山路へ下りる。左に進み、陽明公園の裏門をくぐる。大屯瀑布とあるが、道路から見える人工の堰をそう呼称しているのだろうか。
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竹子湖路から小観音山を振返り見る |
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玉龍谷の下りから大屯山を見る |
湖山路の陽明公園正門を過ぎる。 大屯山方向は、霧が晴れ山容が望める。公園歩道をさらに進み14時半過ぎに陽明山バスターミナルに到着した。大屯山鞍部から2時間の下りであった。本日の行程、歩行距離は約15.4km、休憩込みで6時間半の行動である。累計で1194mの登りだ。下りは、バスターミナルの位置が高いので、登りほど多くない。
大屯溪古道は、二ヶ所を結ぶ古道ではないが、古人の営みが偲ばれる優良山道だ。よく歩かれている上、沢の渡渉は数箇所あるがすべて補助ロープがかけられている。先月末の
消墾壁古道などに比べれば、雲泥の差がある。消墾壁古道を行くのは、冒険に近い。大屯溪古道の山道レベルは3というところだ。一方、体力要求度は、小観音山西峰への登りがとてもキツく4となる。山道や体力のレベルの基準については、
前回記事を参照してください。
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