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2015-09-29

2015年9月26 - 28日 花蓮清水大山-立霧山 台風襲来直前の高難度中級山に登る

標高2,250mぐらいから見る清水大山山頂
頂上直下から見る海岸線、手前が千里眼山、後ろが立霧山
台湾は、面積的には日本の九州ぐらいの大きさであるが、そこに200座以上の3000m超の山々を抱える急峻な地形を形成している。台湾の山岳は、一般的に3000m超の高山、1000m ~ 3000mの中級山、そしてそれより低い郊山という分類をしている。中級山というと、高山にくらべて困難度が低いように聞こえるが、実はアクセスが大変だったり道の状態が良くなかったりで、困難度が高い山もある。単純に高度だけではその登山難度は決められない。

花蓮の北側に位置する清水大山や立霧山
三日間の歩行高度プロファイル
台湾の北東部、宜蘭蘇澳から花蓮にかけては山が急激に海に落ち込む。花蓮近くの清水断崖はまさにその例だ。その断崖の遥か上にそびえる山が清水大山である。この山を登頂するには、標高数十メートルの太魯閣遊客中心(ビジターセンター)から標高2408mの頂上まで、なんと標高差二千三百数十メートルを自分の足で登らなければならない。高山でも登山口の標高がかなり高く数百メートルの高度差で登れる山のあるのにくらべ、清水大山はまさに遥か遠くの山である。勿論一日では登頂できない、通常は三日をかけて登る。我々も三日をかけて往復した。二日目の登頂日は、軽装での登山だが十数時間を要した。清水大山は、中級山の王者といわれる由縁だ。
台湾の東海岸花蓮の山
ここは、長く原住民太魯閣族のテリトリーであったので、原住民が登っているかも知れないが、記録としてあるのは、当時の台湾山岳会を代表する沼井鉄太郎の登頂記録である。昭和8年(1933年)に今の登山道とは別に東側の尾根から登っているが初登頂である。日本との関係も深い山である。当時は、砂卡礑林道も存在していなかったのだろう。


第一日 9月26日 台北 - 花蓮新城 - 太魯閣遊客中心 - 得卡倫步道 - 立霧山 - 大同部落

立霧山頂上
太魯閣遊客中心からスタートし、立霧山を往復して大同部落へ
ピークは立霧山
早朝台北バスセンターから出発
台湾の休日中秋節の三連休を利用しての登山である。ちょうど杜鵑台風が近づいており、天候が心配される。そのため、予定メンバーの数名は取りやめ、最終的に七名での登山である。もともとは、汽車で花蓮新城へ向かうつもりであったが、三連休のため乗車券が売り切れ(鉄道の切符予約は、ネットで公開されるが数秒で完売である)で第五高速道路経由の葛瑪蘭バスで向かう。羅東から汽車に乗るため、台北轉運站5時55分発の早朝バスである。連休の初日で下り方向は混雑が予想されるが、時間が早いため約一時間で雪山隧道を抜け、7時12分に目的地羅東に到着する。休日で乗降客が多いため、降車はバスセンターではなく、少し離れたところだ。少し歩いて台鉄の羅東駅へ向かう。

車窓から見る太平洋、晴れ間がのぞく
太魯閣遊客中心の石像、背後の山を登る
7時50分発の花蓮行き区間電車は5分遅れだ。我々と同じようなルートで花蓮に向かう旅行客が多いかと思っていたが、中国からの旅行者が多いほかは思ったほど混んでいない。途中海岸わきを進む際、太陽が顔を出してくる。台風はまだ遠いので、天気は持つのかもしれない。9時2分、新城駅に着く。観光地太魯閣へ向かう中国観光客が大量に下車する。多すぎて移動するのも大変だ。こうなると、正直言って迷惑だ。現在改築中の新城駅駅前は、観光バスや駐車している車以外は、商店も少なく閑散としている。駅前広場北側の台湾好行バス亭で待つ。
德卡倫步道入口







急坂道の入口
岩の露出する急坂を登る
9時43分、太魯閣方面への台湾好行のバスがやってくる。このバスは悠遊カードが使えて便利だ。10分ほどの乗車で、太魯閣遊客中心に到着する。派出所で入山書類を提出し、10時半出発する。ビジターセンター広場の山側にある遊歩道から歩き始める。左にすこし進み、得卡倫步道(大禮大同步道)が始まる。大禮部落まで、2.85kmとなっている。ゆるいつづら折り坂道を300mほど行き、左に急坂が始まる。右の道を進むと階段道になる。登りには左の道を取り進む。急坂を登るとまもなく尾根上に大石が多く現れる。ちょうど最近訪れた鳶嘴山の登りのような感じである。10時54分、初回の休憩をとる。思ったより気温が高く、服装の調整をする。

荷物用ゴンドラ中継点
中継点から見下ろす、直下にビジターセンターの建物
急坂道と德卡倫步道との合流点
今回の宿泊は、大同部落の民宿で食事があるので、寝袋や食料は多く持っていく必要はない。それでも各自10kg以上の荷物を担いでいるので、余裕をもって登っていく。登るにつれ、真下にビジターセンターの建物が見える。11時18分、貨物輸送用ゴンドラの中間点施設に着く。現在は天災でこわれてしまって、ウィンチなどの機械はそのままホコリをかぶっている。再開のメドはまだないようだ。このため、大禮部落や大同部落は、物資を人力で担ぎ上げている。

原住民青年と談笑
登りはまだまだ続く。11時44分、右から階段道を経由した得卡倫步道が合わさる。つづら折りに高度を上げていく。樹木がきれて展望がきくと、対岸の山に対し大分登ってきたことがわかる。山腹はセメント材料のために大きく削り取られている。12時過ぎ、休憩をとる。休んでいると上部から二人の原住民青年が走って下ってくる。立ち止まり我々と話をする。荷物を担ぎあげてその帰りだそうだ。重量によるのだろうが、一回あたり2000元とのことだ。筆者は、若いころ山岳部長期合宿前の資金稼ぎと体力作りをかねて、ボッカ(荷物担ぎ)のアルバイトをしたことがある。その当時は下りは荷物を降ろして体がとても軽く感じ、この青年と同じように走って下ったのだと思う。

急坂は残り僅か

天気は曇だが、気温はそこそこあり一本調子の登りはやはり辛い。12時30分、食事休憩をとる。急坂ものこりは、それほど多くない。20分ほどの休憩後、再び登る。13時7分、急坂は終了し平らな道になる。太魯閣遊客中心から約2時間半で約800mの高度差をカバーした。少し進む。錆びついた機材が道端にある。これから歩き始める砂卡礑林道が、木材運搬の道として機能していた頃に使われていたものだ。80年台半ばに終了したので、30年ほど経過したことになる。少しいくと道はコンクリ舗装になり、すぐ左に大禮部落への道が分岐する。大禮や大同などの中国地名は、実は民国政府になってからの改名である。原住民の言葉では、それぞれホホス、サカダンである。砂卡礑林道の砂卡礑はこの音から来ている。日本の北海道には原住民の地名が漢字に置き換えられて残っている。台湾の原住民地名は、同様に漢字で置き換えることが可能であったはずだが、残念ながら名前まで中国名になってしまっている。

林道沿い建築中の建物わきから見る、霧で遠くは望めない
砂卡礑林道
大禮部落には美しい礼拝堂があるそうだが、今回は先を急ぐことにする。道は緩やかな登りである。山襞にそって進む。この道は車一台分の幅員だ。ここを原住民のトラックが行き来する。その昔は、山奥から切り出した木材を満載したトラックが走っていたことだろう。分岐から10分ほどやってくる。道脇に建物が建築中だ。左は開けているが、谷は霧で遠くは望めない。雨が降っていないのは、幸いだ。途中一度休憩し、14時28分立霧山への分岐に来る。時間はまだ早いので、往復することにする。他の登山グループのリックサックが分岐においてある。我々も荷物と降ろし、身軽になって登る。

立霧山への分岐
空身で立霧山へ登る
看板に「達道の民宿」とある方向へは、まず巾の広い道で始まる。3,4分で右に山道が始まる。急坂で、木の根などが絡まる部分もある。それほど立派な道ではないが、太魯閣国立公園の管理メンバーが巡回しているようで、その名称入の標識リボンを道脇に見る。空身なので、体が軽い。尾根にとりつき、ぐんぐん登っていく。傾斜がゆるくなるとすぐ立霧山(標高1274m)頂上に着く。15時11分、約35分の登りである。ここが今日の最高点だ。周囲は樹木である。霧がかかっているので、樹木が無くても展望はできない。立霧山の立霧は、原住民のタッキリに日本時代に当てた漢字である。今もそのまま河の名前も含めて使用されている。

道でであった黒犬「排骨



下りも気楽である。同じ道を下る。ほぼ登山口に近いところで、黒犬が一匹道の真中にいる。どこから来たのか。そのまま下っていくと、ついてくる。広い道に飛び出て左に折れ、15時57分リックを置いた分岐に戻っていくる。下りは約20分ほどであった。そのまま、荷物を担ぎ大同の民宿彩虹屋へ向かう。ここからは下り基調である。黒犬は先導して行く。我々の道案内をしているようだ。16時32分、左に他の民宿への道を分ける。そのまま直進していく。16時40分過ぎ、我々の民宿に到着する。

彩虹民宿に到着、右は排骨
民宿は、大部屋であるが、今日は我々が一部屋を占める。薪で沸かしたお湯で体を洗う。風呂とまでは行かないが、汗をかいたので嬉しい。その後食事をとる。持ってきたお酒を皆で飲む。一緒についてきた黒犬は、排骨という名前だそうだ。排骨とはアバラということで、ガリガリの痩せを想像させるが、この黒犬は結構太っており、この名前は合わない。小さい頃は痩せていたのかも。食事も終え、そのうち暗くなってきた。8時前、部屋に入り就寝する。天気はどう転ぶか、もし天気が悪ければ、清水大山は諦めなけばならないかもしれない。


第二日 9月27日 大同部落 - 清水大山 - 大同部落

清水大山頂上三角点の筆者
林道を進み、登山道を登る
単独ピーク往復
午前三時半、月が民宿の上にかかっている
まだ夜半の3時に起床する。すでに外にでていたZさんは、星空だということだ。昨晩まったく期待していなかったので、意外だ。外に出てみると、月もでている。天気が良ければ、今日は清水大山の登頂を試みること決定し、早速準備する。前夜にお願いしていたように、3時半ごろに朝食をとる。他の登山隊が、民宿前の道をヘッドライトを付けて通り過ぎる。我々も支度をすませ4時に出発する。まだ夜明けは遠い。我々もヘッドライト頼りに歩き始める。一般の情報では、往復に13時間を要するようだ。できるだけ早く出発するに越したことはない。更に奥の民宿の下を通り過ぎ、砂卡礑林道を進む。先ほど起床後には、月が出ていたがほとんど明るさを感じない。ヘッドライトのせいかもしれない。見える限りでは、道の状態はOKだ。登っていくうちに、水が流れているところを通り過ぎる。

午前四時、暗闇の中で民宿を出発
午前5時半、そろそろ明るくなってきた。崩落箇所を行く
30分ほど歩き、服装を調整する。思っていたより気温が高く、汗が出てくる。廃棄されてから約30年経つ林道は、度重なる台風などによる土砂崩れで、道が途切れている場所が多い。かなり大きな崩落あとを通り過ぎる。ふたつ目の大きな崩落箇所では、前方に先にいったグループが道がわからず難儀している。暗い中ではルートを見あまりやすい。5時20分をすぎる頃、周囲が少し明るくなってきた。5時半になると、ヘッドライトもいらないぐらいの明るさになる。また大きな土砂崩れ場所を通り過ぎる。

崩落箇所を高巻いていく


道は、国家公園の管理下にあるので、それなりのメンテは行われている。危険なところには木製の梯子やロープなど、設けてある場所もあるが、まったくない場所もある。台北近郊の不人気山よりはましだが。このルートも、それほど多くの登山者に歩かれている道ではないので、それも仕方がないだろう。重要度は低いのだと思う。今日は三連休で、登山者が多いが普段はほとんどいないのではないだろうか。6時10分過ぎ、水場のある土砂崩れ場所をすぎ、その先に露営場所にくる。シートを張り、数名の登山者が宿泊している。どうやら道を整備しているボランティのようだ。ここで大同部落から約5kmである。

露営地わきを行く
林道から対岸の三角錐山を見る
大崩落箇所を過ぎる
黒犬排骨が追い越していく
この先は、道の状態はさらに悪くなる。土砂崩れも多く現れる。6時半休憩後歩き始めると、樹木のない場所から谷を挟んで、対岸の山が見え始める。峰々からは深い谷に落ち込む。左には三角錐山が、まさにその名の通りの三角形ピークでそびえている。林道の前方には、大岩崖が目立つ清水大山がどっしりと座っている。メンバーの志気が俄然高まる。他の登山グループと前後して道を進む。路盤がすべて崩落し、岩壁が露出した場所に設けられた一本橋を通り過ぎる。さらにゆくと、先に出発したと思われる昨日の黒犬排骨がいる。大きな崩落箇所を通り過ぎて進み、7時54分林道の終点、山道の入口に着く。距離は約8km、出発して4時間である。標高は1500m、8kmかけて約600m高度を稼いだわけだ。

林道終点で休憩、向こうに三角錐山が見える
急いだせいもあり、少し疲れ気味だ。8時18分、少し腹ごしらえの後登り始める。これから標高2400m強の清水大山頂上まで、約900mの高度をかせぐことになる。山道は、山腹を登っていく。木々にはサルオガセがかかり、高度が高いことを示している。8時36分、清水大山の枝尾根に取り付く。ここからは、急坂が頂上まで続く。狭い尾根上には、苔の覆われた樹木が、朝陽のさすなかに立っている。このような登りは、一定のペースで進むのが最良だ。あっせっても早く頂上に着くわけではない。

朝陽のさす森を登る
森の中の急登が続く
道は、岩や根が露出し、決して歩きやすいわけではない。ただ、これはどこの中級山も同じようなものだ。9時20分過ぎ、標高1900mをこえる辺りで草の間を少し登る。周囲の山が大分見えるようになる。二子山の稜線の向こうに、森林限界上に頭をだした大きな山塊がある。どうやら南湖大山のようだ。いずれは行きたい高山である。坂は相変わらず急峻である。標高2100mを超えると、山道から南側を見渡せる。深い谷から2000mの落差を一気に2600mの三角錐山頂上へ駆け上がる。三角錐山の左肩に見える山は、塔山や富田山だろう。その東、海側は雲がかかり、下が見えない。台風を心配してきたが、どこに行ったのかと思うほど好天だ。

枝越しに遠景が見える、遠くの山は南湖大山
三角錐山が川底から一気に2000m立ち上がる
岩稜道が現れる
急坂は相変わらずきついが、展望ができると俄然力がでる。2250m近くで樹木がきれて岩がごろごろする岩稜になる。その上方に清水大山の頂上が見える。残りはあと100数十メートルの高差だ。振り返れば、曉星山を真ん中に、左から三角錐山、二子山をへて曉星山、更に騾馬望山何へと続く山並みのパノラマが広がる。その背後は3000m級の高山が控えている。実に雄大な眺めだ。清水大山も含めて、太魯閣七雄と称される山々だが、これらを登ろうとすれば清水大山よりさらに困難とのことだ。

左から三角錐山、二子山、曉星山の稜線、その向こうに高山群がのぞく
岩稜を登る
台北近郊の獅仔頭山には、原住民との抗争を物語る隘勇線の遺跡が残っている。日本は1895年に台湾を接収したあと、植民地運営を進めるにあたり、当初は平地の漢族の抗日運動を抑える。更に山へと殖民事業を展開すると、当時高砂族と総称された原住民の抵抗にあう。獅仔頭山は、そうした抵抗に対する理蕃施策が行われたところであり、住人の泰雅族は最終的に帰順する。清水大山から見えるこれらの壮大な山々のなかでも、原住民太魯閣族の抵抗にあった。そして、その規模は原住民抗日運動の中でも最大のものであり、最終的には今から約100年前1914年の太魯閣戦役を経て集結に向かう。日本軍は多大な犠牲を払っている。この深い谷、そして急峻な山々、日本軍は土地に熟知した原住民のゲリラ戦に悩まされたに違いない。
雲海の下は海だ
最後の灌木帯を登る
岩稜は登った後切れて、また低い樹木のなかをしばらく進み、また岩稜が現れる。小ケルンもあるが、濃霧だとガレ場で通過は注意が必要だ。岩稜部分が終わるとまた低い灌木の中を進む。棘状の葉をした刺杉は、この厳しい自然のなかでその身を守るために必死で生きている。誤って掴むと痛い。11時30分、ついに清水大山(標高2408m)の山頂三角点に到着する。4時に出発し、実に7時間半、山道部分は3時間半の歩きである。頂上には、黒犬排骨がすでに到着していた。さすがに原住民の犬である。山登りは我々より強い。頂上はかなり広く、三角点のある前のガレ場からは西側の景色が広がる。東の海側は、頂上を少し行くと眼前に大展望が広がる。太平洋の海岸線が望める。標高2400mからの海岸線は、飛行にでも乗らないとそう簡単に眺めることができるものではない。今回は、晴天になり本当にラッキーだ。三角点近くで、しばし休憩する。

頂上三角点付近から西側を望む
東側を望む、左に海岸線が見える
ガレ場を慎重に下る
12時10分過ぎ、下山を開始する。下り道も楽ではない。大同部落まではかなり遠い。15分ぐらいでガレ場を下る。浮石に注意が必要だ。眼前には壮大な景色が広がるが、足元には十分気をつけなければならない。ふたつ目の岩稜を過ぎる。南側の谷を埋めていた雲海が晴れ渡り、昨日登った立霧山や、その手前には千里眼山のピークが見える。立霧山の麓には、大同部落の民家も望める。12時40分、灌木の中を下り始める。壮大な展望もそろそろお別れだ。メンバーの一人が膝の不調を訴える。そこで、スピードを緩め休憩を多くとって進む。13時10分石楠花の木々の間で休憩する。春であればこの辺りは石楠花の花で綺麗だろう。

雲がさって、落差2000mの深い谷がのぞく
灌木が現れ展望もそろそろ終わりだ
高くなった樹木の間を下っていく。14時08分、上方から黒犬背骨が下りてきて、追い越していく。14時36分、林道末端部分に到着する。山道下りは2時間半であった。日暮れまではあと3時間ほど、急げばそれまでに間に合うだろうが、メンバーは疲れておりまた足の不調の者もいる。途中での日暮れを覚悟する。筆者の登山は、メンバーは全員一緒に行動し安全に下山することが、第一の基本だ。ボランティであろうが、リーダーとしてメンバーを連れて山に登るということは、全員を安全に下山させることが第一の使命だ。それだからこそ、メンバーも指示に従ってくれる。日暮れまでに、朝の日出後に通過した、大きな崩落部分を通過することが目標だ。

林道を大同部落へ帰る
一本橋を通り過ぎる
林道を進み、朝はそのまま通過した水場で水を補給する。平らな林道であれば、どれだけ楽かと思うが、30年も補修されていないので次々と障害が現れる。幸いにして、メンバーは動けないことはないので、ゆっくり進む。15時40分、梯子で登り高巻きしていく大きな崩落部分を通過。さらに進むと、朝感激した三角錐山が、午後の空の下でそびえている。16時4分、一本橋を渡る。丸木橋を過ぎ、16時40分、露営地を過ぎる。すでに撤収されて、下に敷いていた草葉が残っている。古い寝袋もある。その先の水場でまた補給する。これから先も崩落部分はあるが、それほど大きくなく、また来る時は暗い中を通り過ぎた部分である。

稜線には暮色が迫ってきた
ヘッドライトを点灯し林道を急ぐ
17時40分、休憩する。周囲は暗くなってきた。皆にヘッドライトの準備を促す。暗くなってからザックの中を探すの大変だからだ。18時、いよいよ暮色が濃厚になり、まもなく暗闇が訪れる。途中、さらに二ヶ所ほどの崩落部分を通過、朝も暗い中を通過した水の流れるセクションを行く。そのうち農作物の畑と思われる部分が現れる。大同部落はもうすぐだ。19時、彩虹屋の灯が見えた。歩行時間約15時間、今まで歩いた中では最長記録だ。往復距離は約20kmである。

空には中秋の月



身体を洗い、夕食に着く。全員七名のメンバーのうちの二人は、昼間清水大山に行かずに付近を歩いた。天気が良いので立霧山付近の展望点から海岸の景色が見えたようだ。全員で祝杯を上げる。メンバーの一人の誕生日でもある。中秋の名月も空に輝いている。











第三日 9月28日 大同部落 - 太魯閣遊客中心 - 新城 - 台北

砂卡礑林道からみる大同部落民宿のある台地
第一日とほぼ同じだが、最後は階段道を経由
下山の高度プロファイル
民宿から見る千里眼山
深夜に風の音がときどき気になった。台風がいよいよ近づいているようだ。5時に起床して外にでると、曇だが雨は降っていない。千里眼山や立霧山が望める。風も時々強く吹くが、台風の威力をあまり感じない。6時過ぎに朝食をとる。雨が降り始め、ときどきは強く降る。今日はどこにも立ち寄らず、早く下山することが肝要だ。全員雨具を着け、7時過ぎに出発する。

二泊した彩虹屋民宿
千里眼山は見えるが、背後の清水大山は雲の中だ
林道は、初めは登り気味だ。大同部落が標高900m、立霧山の登山口付近で1000mを少し超える高さになる。岩がオーバーハングして、雨のかからない場所で休憩をとる。歩いて約1時間、第一日目は霧で見えなかった大同部落の民宿が、谷の間に見える。深い山あいの間の、ほんの僅かの平地に民宿が建っている。谷の奥は二子山だが、霧の中だ。千里眼山がかろうじて見える。

海岸線や新城が望める
9時過ぎ、大禮部落への分岐へ来る。その先少し行ったところから、下りの山道が始まる。まだ海岸線がはっきり見えている。新城の街も望める。濡れた赤土の部分は滑りやすので注意が必要だ。10時10分、右に急坂の道を分ける。第一日目は登ってきた道だ。この道は、今日のような天候では下りに取るのは適さない。左に大禮大同步道をそのまま下る。さらに二、三箇所のつづら折りを過ぎる。大禮部落から約1.7km部分で、右に木製階段道が始まる。左に歩道を行けば蘇花公路へ下る。右に階段道を進む。標高はまだ400mほど、長い階段道の始まりだ。

階段道を下る





10時48分、展望のよいテラスにくる。前方には三角錐山がそびえ、立霧溪の深い谷がある。右上部には、第一日目に通りすぎた、ゴンドラ中継施設が望める。11時9分、階段が終わり、土の道になる。そのすぐ先、右に急坂の道を分け、11時半太魯閣遊客中心に戻ってきた。4時間半の行動時間である。これから、台北に帰るのは交通機関の状態が心配だ。台鉄は、午後全面運休するという。蘇澳と花蓮とをつなぐ蘇花公路も通行禁止となっているようだ。山の上では、あまり感じなかった台風がいきなり身近なものになる。

階段道のテラスから三角錐山と立霧渓谷を望む
ビジターセンター、風雨が強まる
メンバーが機転をきかせタクシーを用意する。11時48分、二台のタクシーに分乗し新城駅に向かう。タクシー運転手は、期待していた区間電車も運休だという。新城駅に11時に着くと、登りの最終列車、蘇澳新駅への急行復興号が30分遅れでまもなく出発するという。その先は、どうなるかわからないが、とにかくこの列車に乗車する。中国旅行客も乗車するが、乗車人数は列車乗客定数にくらべ少なく、ガラガラの車両は我々七人の専用となる。車窓から見る海岸は、かなり高い波が打ち寄せ、台風の接近を感じる。

復興号の車窓から海を望む、波が大きい
運休前の最終台北行き4177次区間電車@蘇澳新站
13時15分、約55分の乗車で蘇澳新駅に到着する。一旦改札を出て、高速バスなどをあたってみるが、すでに運休しているものもある。切符窓口で確認すると、38分遅れの台北を通り樹林駅までの南澳発区間電車が13時40分ころにやってくるという。先ほど復興号は急行なので、この区間列車を途中で追い越していたのだ。これ以後の便はすべて運休、台北まではこれが最終である。帰路も幸運に恵まれた。区間電車は13時34分に到着、乗客はまったくおらずガラガラだ。この車両もほぼわれわれ専用である。大溪駅や大里駅近くの海岸は、いよいよ大きな波が打ち寄せている。途中、三貂嶺駅で一時停電となり20分ほど止まったが、台風来襲直前の最終列車は、17時に台北駅に到着した。最寄りの地下鉄の駅から家まで歩いて二分ほどだが、雨風が強く傘もさせないほどで、ここではじめて台風を体験した。

停電した車窓から雨風が強まるのを感じる@三貂嶺站
帰宅してニュースを見ると、台風の影響で連休にでかけた多くの旅行客は帰るに帰れず、かなり難儀をしたようだ。我々は、半ば脳天気に台北に帰ってこれたが、実にラッキーであったわけだ。登頂の二日目の好天、今回はまさに幸運に恵まれていた。

中級山の中でも困難な登山とされる花蓮の清水大山は、それなりの体力と経験者でないと困難である。困難度はルートクラス4、体力要求度はクラス5である。今回対岸に見えていた三角錐山や二子山などは、自分でテントを用意し水までも担ぎあげ、なおかつ道も良くないという。これらは、まさに中級山の王者である。太魯閣七雄とされる山々を完登するのは、並大抵のことではない。

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