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2019-09-21

2019年9月15日~19日 中央山脈北二段縱走 短いが困難度が高い縦走路

畢祿山から望む無明山,奥の三角ピークは中央尖(2016年12月撮影)
台湾島の背骨、多くの3000m峰を抱える中央山脈は1970年代にその大縦走が行われ、中途補給など実行上の便宜のために、区分けが行われた。北から南に一段から三段、そして南から北に向けて同じく一段から三段に分けられた。今回の登山対象は、その区分けである中央尖の南にある甘藷峰から畢祿山への北二段のうち、鈴鳴山から北に無明山をへて甘藷峰へと歩いた。また、鈴鳴山の隣に主山脈とは離れて立つ百岳閂山を訪れた。

無明山へ最後の登りを行くメンバー、背後には鈴鳴山(左奥)と閂山(右遠)。手前は無明山西峰、
この区間の最高峰である無明山は、標高3451mある立派な山容を有する山であるが、もともと無名山と呼ばれた。東側は壮絶な崩壊壁が1000m下の谷底へ落ちる。稜線を行くにしても、北側は鬼門關斷崖と呼ばれる岩壁が立ちはだかり、南側は崩壊脇のザレ場や岩壁があるため、訪れることなく名前を付けるに値しなかったのかもしれない。山脈の東西に点在する原住民部族間の猟場争いも多くあり、登山で立ち入るのも大変だった。昭和7年(1932年)に当時の台北工業学校の教師千々岩助太郎をリーダーとする四名が、原住民の助けを得て、畢祿山から北に南湖大山への縦走をする際に、スポーツ登山としての初登頂でこの山を登っている。

鬼門關斷崖から見る甘藷南峰(左)と甘藷峰、中央山脈の主稜線はさらに中央尖西峰をへて中央尖山へ続く
人を寄せ付けない風貌の無明山とは対照的に、鈴鳴山(標高3272m)や閂山(標高3121m)は緩やかなカーブの稜線を抱き、山頂付近は矢竹の大草原になっている。この二山だけの登山は、縦走に比べるとずっととっつきやすく、名前もやさしいためか人気コースの山である。一方、甘藷峰(標高3158m、日本語ではさしずめサツマイモ山)は、北にある中央尖との間に死亡稜線と呼ばれる、困難なセクションがあるため、主に甘藷南峰から軽装で往復というのが普通だ。主稜線へのアクセスは、南側は廃棄された730林道をへて、北側は甘藷南峰から遠多志山の稜線を耳無溪の谷を越えて730林道へ戻るという歩き方が、縦走の一般的な歩き方だ。我々もそのルートで歩いた。

五日間の足跡、730林道をへて半時計周りに回遊
五日間の歩行高度表
雪山山脈とほぼ並行する北二段
鈴鳴山から甘藷峰への稜線は、距離は短いが上り下りが続き、岩壁や崩落セクションなどの難所が多く、距離に対して時間を要する。さらに、鈴鳴山から先は、途中にある無明池の溜まり池しか水源が無く、テントを含む装備のほかに、水を担いで歩かなければならず、おのずと困難度が高くなる。そんなことで、この縦走ルートはそれほど人気があるとは言えない。
無明山山頂の全メンバー
我々は台湾の中秋節三連休の最終日9月15日に、下山する大勢のパーティとすれ違いで入山した。鈴鳴山山頂以降の三日間は誰とも出会わなかった。日本から訪れたTさんを含む四名のパーティで縦走した。水場や体力の按配で、5日間の歩きである。日程としては、前日9月14日に登山口近くの環山の民宿で宿泊、早朝にシャトルサービスで730林道の車がはいれる最終点11.7Kへいき、25K廢棄工寮(作業宿泊所)まで歩いて閂山を往復して宿泊、第二日は鈴鳴山を越えてその東肩テント場で宿泊、第三日は無明山を越えて無明池テント場泊、第四日は鬼門關斷崖をすぎ、甘藷南峰テント場から甘藷峰を往復し宿泊、最終日は遠多志山の稜線を下り、耳無溪を越えて730林道に登り返し、登山口へ歩いた。

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第一日 9月15日 730林道 - 11.7K登山口 - 25K廢棄工寮 - 閂山軽装往復 - 工寮(泊)

登山口から730林道をへて25工寮へ、閂山を往復
歩行高度表
宜蘭バスターミナル、國光客運1751番バスで向かう
今回のアクセスは、基本一般交通機関使用である。前日14日に台北から10時半過ぎの噶瑪蘭客運のバスで宜蘭バスターミナルへ、そこから12時40発の1751番國光客運のバスに乗り継ぎ、15時45分民宿王小明登山協助站前にある環興バス停で下車した。途中の南山村バス停で10分ほどバスは停車し、その近くにある商店やファミリーマートで最後の必要品を購入した。この民宿は、基本寝泊まりだけなので、事前に頼んでおかない限り自分で食事の対応が必要だ。

民宿内部は二段ベッド
夜明けの民宿(右)から見る谷間、前方の山は大劍山
シャトルサービスは、登山口で引き返す
昨日南山村の店で購入した食品で朝食を済ませ、5時半に民宿オーナーが運転する四駆の車で出発する。7甲号道路を南下し、下って清泉橋を渡り730林道に入る。台湾の林道は番号がついて呼ばれるものが多いが、それは林業が行われていたころに切り開かれ当時の名称がそのまま使われている。樹木伐採はとうの昔に終了し、林道は本来の目的では使用されていない。当然メンテも行われないが、里に近い部分はその付近に果樹園が造られ、果実運送のために地元民によりメンテがされている。それを過ぎると状況は俄然悪くなる。草が道の両脇を塞ぎ、深いわだちや凸凹の部分が多い。車高の高い四駆でないと無理だ。車は大揺れに揺れ、つづら折れで高度を上げていく。6時30分、標高2300mの車両最終点に着く。ここから歩きが始まる。

林道終点の標識
小沢を横切る
6時40分過ぎ出発する。林道はすぐに車止めの標識を過ぎる。路脇には塩ビの水管が数本走っている。麓の集落で使用する水を沢から引いているものだ。途中には水タンクもある。小沢を過ぎ、進んでいく。途中には、路面が崩れている部分が現れる。少しの下巻き高巻きがある。しかし、今まで歩いたほかの廃棄林道に比べれば、まだまだましな状態だ。7時56分、右山側岩壁に水が流れている。ここから先は、25K工寮近くまで水場はない。

落石が廃棄林道に転がる
林道にはオートバイが打ち捨てられている
その先は、倒木や落石が転がっているところがあるが、路面全体が崩れたところは少ない。おそらく水が流れないので、良い状態が保てているのだろう。8時22分、道は閂山から北へ茶岩山へと下る尾根の先端を回り込み、尾根の西側から東側を進むようになる。ちょうど回り込むところに、オートバイが捨ててある。林道が問題ない時にやってきて、その後がけ崩れで通れず廃棄されたものだと思う。今まで同じような遭遇のオートバイをほかの廃棄林道でも見ている。

良い状態の林道が続く
林道のつづら折れセクション
中秋三連休を利用して鈴鳴山と閂山を登ったパーティが三々五々すれ違う。子供を含む家族パーティもいる。東側を向いたので、道は日差しが差し込み明るい。9時に17.5Kの分岐を過ぎる。耳無溪から登ってくる道で、我々は4日後にここへ戻ってくる予定だ。道の状態はすこぶる良い。さらに20分ほど歩くと、道はつづら折れに山腹を登り、高度を上げる。樹木の間から無明山とその西峰が望める。つづら折れが終わり、山腹をほぼ平らに道が進む。崩落部分もあるが、大きな高巻きはなく助かる。

林道から無明山を含む主稜線を望む、右の近いのは人待山、その向こうに鈴鳴山の山頂が顔を出している
23.2K閂山登山口、ザックがおいてある
11時40分、23.2K閂山登山口を過ぎる。道には数個のザックがデポしてある。閂山へ往復するパーティの物だろう。その少し先で、右にある水場を過ぎる。テント場もある。12時27分、25K工寮に着く。一休みして、後を歩くTさんを待つが、なかなか来ない。そこで様子を見に林道を戻る。するとやってきたTさんは体調が悪くなったとのこと。一緒に工寮にもどり、Tさんを残して三人で閂山へ向かうことにする。

林道のがけ崩れ部分を過ぎる
矢竹の間を倒木を越え進む
閂山は、先ほど23.2K登山口からの道以外に、工寮すぐ近くからの道もある。14時に出発する。こちらの道は、すぐに台湾ツガの森の中の急坂で始まる。森の底は背丈ほどの矢竹が密生し、藪漕ぎすると少しばらついてきた雨のしずくで濡れる。雨具を取り付け、引き続き登る。倒木もけっこうあり、去年訪れた白姑大山を思い出す。登ること約1時間、道は緩やかな坂となり、森からでて矢竹の草原にでる。周囲はガスってきて、景色はない。15時20分、23.2K登山口からの道と合流する。尾根上の道を行く。森の中や草原の上下する道を行く。15時50分、閂山山頂(標高3123m)につく。登山口から標高差300数十メートルだが思っていたより時間がかかった。周囲は濃霧で、まったく展望はない。

濃霧の草原を頂上へ最後の登り
閂山山頂の筆者
25K廢棄工寮
下山は往路を引き返し、17時半に工寮に帰りつく。廃棄されて久しい工寮だが、屋根や壁はしっかりしているので、雨風は防げる。しかし、ネズミやテンなどがやってくるので、中にテントを設営し宿泊する。食事を終え、早々に就寝する。今日は、都合21キロメートル、累計で登り850m、休憩込み活動時間11時間である。






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第二日 9月16日 25K廢棄工寮 - 鈴鳴山登山口 - 鈴鳴山 - 鈴鳴山東鞍營地(泊)

25K工寮から鈴鳴山を越えて東鞍テント場へ
歩行高度表
工寮から出発
4時に起床、食事と片付けを終え、5時半に出発する。Tさんの具合は良くなったが、様子をみてどこまで歩くかを決めることにする。廃棄林道の道は、行くと間もなく大きながけ崩れで、左に大きく高巻く。高巻き道は鈴鳴山から下りてくる稜線上の人待山への道でもある。20分ほど登っていき、稜線道から離れて右に下る。10分ほど下り、林道に戻る。

右の林道は通行止めで、左に巻き道を行く
今日の林道部分は、昨日の部分に比べると荒れている。倒木も多くある。7時28分、右に沢音が大きく、少し下ると豊富な水量の沢に降りる。ここで水を補給する。筆者は4Lを担ぐ。道に戻り、ザックを担ぐとぐっとくる。重量は20kgを越えているだろう。

沢で水を補給
急坂をよじ登る
林道はもう少し続き、ぬかった場所を過ぎる。8時2分、急坂の山道をのぼりはじめる。少し登ると、小沢のわきに出る。ここでも水補給は可能だ。補助ロープの胸突き坂を登り、道は台湾ツガの森の中を行く。稜線に登るまで、坂はかなり急坂が続く。9時9分、左から人待山からの道を合流し、稜線に上がる。稜線上の森は、ニイタカトドマツも目立つようになる。次第に樹木が低くまた少なくなり、背の低い矢竹がメインになると同時に、展望も開ける。右には、合歡山山塊、そのさらに右には白姑大山の山塊がある。

森を抜けて矢竹の草原を登る、背後に人待山、左の山塊は合歡山,その右奥は白姑大山
左に小池を見て、鈴鳴山へけて草原を行く
右に畢祿山を見て鈴鳴山頂上へ最後の登り
さらに高度を上げていくと、前方に鈴鳴山山頂とその左遠くに頭に雲をいただく無明山が見えてくる。10時36分、左下に小さな池を見る。視界はさらに開け、すぐ右に崩壊面をさらけ出した畢祿山がある。その前には、歩く人が少ない鈴鳴山から畢祿山への稜線と畢祿斷崖が続く。80数年前に千々岩助太郎一行は、この畢祿山から北へと縦走を始めた。

山頂から南方向を望む
鈴鳴山山頂の筆者、背後は雲を頂く無明山
10時55分、鈴鳴山山頂(標高3272m)に着く。空は青空、無明山は雲をかぶっているが、東の立霧溪の谷間やその周辺の山々が望める。奇萊東稜の先端にあるとがったピークは、佐久間山だろうか。一世紀まえに起きた、太魯閣討伐戦役の主役の第五代総督佐久間左馬太の名前を頂いた山だ。昨日は、霧のなかでまったく展望のなかった閂山が、その山頂を穏やかな草原の上に見せている。

東鞍キャンプ地へ下る、前方に無明山西峰
藪漕ぎで進む
今の時間とスピードを考えると、無明山西峰營地へ行くのは困難度が高い。そこで今日は、その前の鈴鳴山東鞍營地に設営することにする。このテント場はすぐ近くなので、山頂でゆっくりと時間を過ごす。好天気のもと、素晴らしい風景を満喫しながら過ごすのも悪くない。ガツガツ歩くだけが、山登りではない。休憩している間に、二人の登山者が登頂し、また往路を帰っていく。

タカネナデシコが咲いている
鈴鳴山東鞍キャンプ場で設営を終える
我々は12時17分、下り始める。矢竹の草原が終わり森に入る。その前にタカネナデシコが咲いている。ここから現れる国家公園の方向表示板も、行き先が無明山に変わる。12時34分、ひょっこり鈴鳴山東鞍營地に出る。三段になるテント場は、樹木に囲まれよい場所だ。西側の沢を下ると水場があるが、我々は登山口で十分な水を汲んできており、また明日は無明池の水が使えるので、行かずに宿泊する。午後の暇な時間は、ゆっくりと過ごし、5時過ぎには夕食をとる。明日は長丁場で、早く出発するため早めに就寝する。

水場はこの谷を下っていく
千々岩助太郎の縦走記録を見ると、鈴鳴山の名前は出てこない。おそらくその頃は、この山は単なる稜線上の一ピークとしてしか認識されず、特に注意もしなかったのではないだろうか。今日の歩きは5.2Km、累計登坂は520m、活動時間は休憩込みで7時間だ。







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第三日 9月17日 鈴鳴山東鞍營地 -無明山西峰 - 無明山 - 無明池營地(泊)

鈴鳴山東鞍テント場から無明池テント場へ歩く
歩行高度表
夜明け前の道をヘッドランプを頼りに行く
今日は、長丁場だ。3時に起床、4時半に撤収して出発する。日出はまだ1時間ほど先だが、その間には大きな難所はない。ヘッドライトをつけ、小ピークを登り始める。遠くふもとの灯りが見える。5時20分ごろから夜の底が白み始める。朝陽が照らし出すと、稜線が浮かび上がる。振り返れば、崩落面をさらした畢祿山が座っている。稜線上の小鞍部で休憩し、また登り始める。

夜明けの畢祿山とその左の鋸山
今日の予定ルートは、直線距離にすればそれこそ3、4㎞に過ぎず、また高低差も大きいものではない。ただ、難所が次々と現れ、慎重に足を運ぶ必要があるため、時間を要する。陽が登ってくるにつれ、東面の崩落斜面があらわになる。西側は深い森、東側は切れ落ちた崩落というのが、このセクションの特徴だ。それは、無明山を過ぎるまで続く。

右(東)側が切れた崖っぷちを行く
矢竹を藪漕ぎ台湾ツガの森を進む
台湾ツガやニイタカトドマツの森の底に密生する矢竹を藪漕ぎし、ときどき右側が切れた崖っぷちの道を進む。西側に回り込み、急な岩稜の斜面を進むところもある。6時5分、すっかり明るくなったなか、無明山 004番の矢印標識を見る。この地を管理する太魯閣國家公園の取り付けたものだ。ただ、単純に番号が増えるだけで、目的地までの距離感がわからない。他の国家公園のように、全行程のうちのどの位置なのかわかる工夫があればもっと良いと思う。

前方に無明山西峰とその右遠くに無明山
急な岩場を登る
さらに30分ほど進むと、前方に樹木を通して無明山西峰とその前のピークの姿が浮かび上がる。道は東側の粘板岩ザレ地に出て視界が開ける。無明山西峰が、そしてその後ろの無明山がまだまだ高い。紫のニイタカマツムシソウ、黄色のニイタカマンネングサなどの彩が岩場にまだまだたくさんある。長い補助ロープのある岩場の坂を登り切り、9時31分に無明山西峰山頂(標高3225m)に登りつく。青空のもとの山頂は、絶好の展望台だ。西側には、小劍山から桃山までの長い雪山山脈の全景が、南には昨日登った鈴鳴山のたおやかな草原の山頂が鎮座している。その右は、一昨日霧の中で登った閂山が緩やかな矢竹の山頂を表している。鈴鳴山の南の畢祿山の左肩から奇萊山北峰とそこから東に降りる稜線が顔を出している。

ニイタカマツムシソウ
無明山西峰から見る雪山山脈全景
無明山西峰から南側を望む
岩場を登る
十数分の休憩後、下っていく。すぐに森に入り無明山西峰テント場を過ぎる。水場がないので、ここで設営する場合は水を背負ってくる必要がある。登り返しが始まり、無明山012番の標識を見て間もなく、10時3分に岩場が現れる。高さは数メートルだが、ほぼ垂直で荷物を担いで登るのはちょっと心配だ。そこで、ここは荷物は別途上から引き揚げ、人だけで登ることにする。先に基部で休憩し腹ごしらえをする。

ザックを別に引き上げた岩壁
台湾ツガの森を行く
今回は、万一のためにロープやカラビナなどを持ってきている。引き上げのためのロープは、岩場に取り付けられている補助ロープで十分対応できるので、カラビナなどを使用して荷物を引き上げる。水を結構担いでいるので、四つの荷物を引き上げるのはけっこう骨が折れる。ここで一時間近く費やし、また登り始める。急な岩の登りが続き、また少し下っていく。ここの稜線は、細かな上り下りが続き、なおかつ岩場などの難所が多く、泣かされる。


やせ尾根の西側急斜面をトラバース
また小さな登りを行く。西側に回り込んで急な斜面をトラバースする場所もある。踏み跡は狭く、こうした場所もばかにできない。東側にでると、強い日差しにてらされた岩の斜面だ。薄紫のニイタカシャジンが咲いている。岩場を過ぎて、森の中に入り、小休憩後、さらに少し下る。12時40分、いよいよ無明山への長い登りが始まる。標高差は400mだ。無明山の東側斜面は、まさに鳥も通わぬ大崩落が谷底に落ちている。しかし、目を凝らすと細い滝が落ちている。

無明山が近づいてきた
岩場に咲くニイタカシャジン
千々岩助太郎の縦走記録は、このように記述する。「8月4日(曇後雨)...9時45分、無名山(ルモラムル山)西南西鞍部から流れてくる小渓を渡り、10時無名山南側の、もろいスレートの直立した物凄いガレの前に着く。中腹まで霧におおわれ、その切れ目から滝も1、2見えている...」彼は、おそらく筆者の眼前と同じ場所を、霧の上に見ているのではないか。案内の原住民は、稜線を行くことは不可能と主張し、その結果この大崩壊のザレを命かながら横切っているようだ。一行の縦走中、最大の困難路と記している。

ザレ場を登る
さらにザレ場を登る
稜線上の道は、がけ淵を進んで急なザレの登りで始まる。少し森の中に入ったかと思うと、また日差しの中の岩場を登る。13時51分、スレートが重なるガレ場を登り始める。崖が崩れる時に、一緒に倒れた倒木が累々と転がる。午後の陽光のもとの登りはつらい。もちろん、雨の中よりはましだが。

14時20分、樹木の残る場所で小休憩をとり、覆いかぶさるような岩壁の下、最後のザレの登り部分を行く。ザレを登り切り、補助ロープのかかる岩場にとりつく。基部にはニイタカコゴメグサが白い花をつけている。岩場を登りきると、高度は3320mを越え、山頂まで残り3分の一だ。振り返ると、周囲の山が相対的に低くなっている。
ニイタカコゴメグサ
赤い実や一部葉が赤くなった玉山小蘗
最後の岩稜を登る
登るにつれ、前上方の山頂が近づく。また現れた岩場を慎重に登り、一度樹木の中に入る。森からでると、最後は少しづく緩くなってきた岩稜を行く。玉山小蘗(ニイタカヘビノボラズ)の葉が一部赤くなり、赤い実をつけている。秋の訪れを告げている。背の低いビャクシンと矢竹の間を行き、15時41分、無明山山頂(標高3451m)に着く。これで登りは終わりだ!

山頂の反対側は緩い草原が広がり、その下には森が続く。千々岩助太郎一行は、南側の大崩壊をトラバースした後、この南東に降りる尾根にとりついて登っているようだ。そして、原住民が狩りの時に使う、無明山東肩にある大きな岩屋のある場所(シュウラン・ラハンガウレ)
に下り、そこで一泊して、翌朝登頂している。
無明山山頂、向こうに太魯閣の山々が見える
今まで無明山のかげに隠れて見えなかった、中央尖や南湖大山の中央山脈北一段の山々が北側に、西側にはちょうど主峰を中心に左右に長く峰々が続く雪山山脈が、東側には太魯閣の山々が、視界をさえぎるものなく広がる。南は、中央山脈が逆光の中に浮かんでる。千々岩助太郎一行は、こう記録している。「8月5日(晴)...紺碧の空には一点の雲もなく、中央尖山の鋭く痩せた岩稜がぎらぎらと朝日に光っている... 7時40分頂上の新しい三角櫓に達した(3449m)。... 雄大な次高山彙の展望も、今日は一点の浮雲なく素晴らしい。...」


無明山頂から北方向を望む
南方向を望む
前方にテント場のある草原と鬼門山が見える
今日の露営地までは、まだ少し距離がある。名残惜しいが16時6分、無明山を下り始める。緩やかな草原の道が続く。少し行くと、前方には鬼門關山の前に、今日泊まる無明池營地の草原が見える。その向こうには、明日行く甘藷南峰と甘藷峰も望める。傾きかけた陽光の中、足を速める。森の中に入り、矢竹の藪漕ぎを過ぎると、16時44分目の前にひっこり無明池が現れた。池の脇を回り、まもなくキャンプ地に着く。この池は、千々岩助太郎も、「...(無明山登頂後)歩きやすい草尾根を、5~600m進むと溜水があってここも野営ができそうである。」と記している。


無明池
背後に中央尖山が見える露営地
まだ、陽のあるうちに池の水を汲み、テントを設営する。池の水は、もちろん茶色で濁っている。持ってきた濾過器で水を濾す。もちろんその後に煮沸して初めて使用可能だ。このテント場は、周囲に高山を眺めることができる、素晴らしい景観のテント地だ。18時過ぎ、夕日が小劍山の左に落ちていく。昨晩と異なり幸い風もなく、静かな夜がやってきた。




記録では、距離5.7㎞、累計登坂750m、下降600mである。しかし、休憩込みで12時間を要した。それだけ、道が大変であるいうことだ。実際、標準所要時間もその距離に対して大きく、我々が特に遅いわけではない。


テント場から見る日没
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第四日 9月18日 無明池營地 - 鬼門關斷崖 - 甘藷南峰 - 甘藷峰往復 - 甘藷南峰(泊)


甘藷南峰へ行き、甘藷峰を往復
歩行高度表
テントの向こうに中央尖のシルエット
昨日は、厳しい歩きだった。今日は、それより楽なので6時半出発だ。そこで5時前に起床する。外にでると、それほど寒くない。月がまだ高く西の空に掛かる。今日も良い天気が期待できる。筆者は昨晩あまり食欲がなく、多めの朝食をとる。6時26分、出発する。今日宿泊予定の甘藷南峰キャンプ地は、水場がないので、明日耳無溪へ下り補給できるまでの昨日汲んでおいた池の水を背負っていく。
西の空には月がかかる
テント場を後に鬼門關山へ、遠くは奇萊山
少し登り気味に進み、18時40分鬼門關山山頂(標高3395m)に着く。山頂から少しで、鬼門關斷崖が始まる。一昨日鈴鳴山から見たときに、無明山から左に稜線を行き、大きく切れた断崖斜面である。前方には、今日歩く予定の甘藷南峰‐甘藷峰の稜線が見える。急な補助ロープもある崖を下る。鬼門關斷崖は、鬼門關山から下りるいくつかの急な岩尾根からできており、その一つの尾根の山腹に取り付けらた道を下っていく。十数分くだると、道は森の中に入る。そのさき、また二つの子尾根の間の谷になる急坂を下る。ここも補助ロープがある。下りきり振り返ると、鬼門關山がすでに高い。


鬼門關山から望む、手前は甘藷南峰から中央尖へ中央山脈の主稜が伸びる
鬼門關斷崖を下り始める
谷状の急坂を下る
最下段の岩場を下る
やせ尾根を少し行き、また森の中で矢竹を漕いで下り、7時48分最後の岩壁上に来る。先ほど低く見えていた甘藷南峰や甘藷峰が少し高いぐらいに見える。その奥には、さらに高く中央尖山西峰と中央尖山が朝陽の中に続く。最後の岸壁は、二段になっておりかなり高さがある。8時5分、全員が下りきり一息つく。森の中に入り、矢竹の藪漕ぎが続く。森からでて、右側がきれた稜線を行く。9時15分、甘藷南峰004の標識をすぎ、登り返しが始まる。昨日と同じような、スレートのガレ場を登る。現在も崩落が進行中のガレ場には、運命を共にした倒木が道を塞ぐ。咬人貓の雑草が群生しており、うっかり触れるとしびれる。北二段縦走路は、その他トゲトゲの玉山薔薇や玉山小蘗、さらに棘状の葉を密生する刺柏が多く、うっかり掴むと痛く、ことさら歩きをつらくする。
ザレ場が現れる
最後の登りを行く
幸い、登り返しは標高差100mぐらいでそれほど高くなく、また距離も1㎞ぐらいで、9時40分甘藷南峰に着く。ここは山頂がテント場になっている。また、明日下山する耳無溪への道が稜線道から分岐する。先にテントを設営し、休憩をとる。11時に軽装で甘藷峰へ出発する。この部分の歩きは、往復であること、Tさんは経験豊富な登山家であること、メンバーの一人が足の痛みを訴えていることを鑑み、筆者とTさんを足の速さが異なる、別々の二つのグループにして出発する。後方のグループが追い付かなくても、そのまま登頂往復する。Tさんと一緒の足の痛いメンバーが、万一登頂をあきらめた場合、先行グループがそのメンバーを途中で拾って帰還することを話し合い、歩き始める。
甘藷南峰露営地、大きなごみ袋が枝にぶら下げられている
野営地から見る鬼門關山(左)と無明山
前方に甘藷峰、その向こうに中央尖山
道はすぐに下りは始める。甘藷南峰と甘藷峰との間には、約落差200mの鞍部を経ていく必要がある。緩い下りで始まり、草原にでると前方に甘藷峰の向こうに中央尖山が大きい。坂が急になり、台湾ツガの森をどんどん下っていく。甘藷峰001標識をすぎ、11時27分下り切ったところで、休憩をとる。後方グループが追い付く。


森の中を下る
稜線から立霧溪上流の谷間を望む
スレートのザレ場を登る
休憩後岩場を登り、小ピークを越していく。厄介なことに、単純な一つの鞍部でなく、越さなければいけない小ピークが二つある。12時26分、森をでてまたスレートのガレ場が現れる。森の中に入り、そのうち道は緩やかに広い尾根上を行く。甘藷峰003標識をすぎ、矢竹の藪漕ぎを終わると、ぽっかり展望が前面に広がる。少し左に進み、13時に甘藷峰(標高3158m)に到着する。
甘藷峰山頂の筆者
後方の二人と、山頂下の尾根ですれ違う
山頂は、燦燦と照らす太陽のもとなので、少し下の木陰で30分ほど休憩をとる。後方グループは、まだ来ないが、帰路に就くことにする。下って行ってしばらく、二人が登ってきた。足が痛いというメンバーも大丈夫のようだ。彼らは山頂に向かっていくが、我々二人は往路を下っていく。14時30分、最低鞍部で休憩をとり、二つの小ピークを越していく。最後の甘藷南峰の登り返しはつらい。15時45分、前方に我々のテントが見えた。これで歩きは終わりだ。後方の二人は約1時間ほど後に帰ってくる。今日の行動は、これで終わりだ。歩行距離約6㎞、累計登坂580m、下降780mだ。今日も風もなく、穏やかな夜だ。


最後の登り返し途中で休憩をとる
やっとテントが見えた
無明山を越えた千々岩助太郎たちは、記述によれば9時に3347m峰(鬼門關山?)への分岐からガレを越えて下り、「...12時20分、3170m峰の南スロープで(高砂名ロハウ)で先発の高砂族と合流し...」とある。時間を考えると、この3170峰は甘藷峰で南スロープとは甘藷峰の前にある傾斜の緩い幅広い尾根のことではないだろうか。そうだとすれば、尾根を追っていったようだ。このあと、彼らは宿泊し中央尖山へ登っていった。









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第五日 9月19日 甘藷南峰 - 遠多志山 - 耳無溪 - 730林道17.5K - 11.7K登山口


下山日:谷に下り林道へ登り返す
歩行高度表
テントの撤収完了
5時に起床、朝食を大目にとる。今日は、まず谷底に下り、730林道に登り返す。下山である。撤収を済ませ、7時に出発する。甘藷南峰から西北西に下っていく尾根を歩き始める。数分で、森がきれて展望ができる。昨日の鬼門關斷崖が朝陽に佇む。そのすぐ右上には無明山の山頂が乗っかっている。これでお別れだ。道はすぐに、急な尾根上の下り道となる。森の中をどんどん下っていく。40分ほどで道は緩やかになり、樹相はアカマツにかわって足元は松葉絨毯になる。休憩後ちょっと登り返し、7時51分、遠多志山(標高2888m)に着く。森の中にポツンと三角点がある山頂は、もちろん展望もない。


鬼門關山(左)と無明山
森の中を下る
少し進むと道は急になり、またしばらくして緩やかになる。その後方向を西北西へ変え、道も急になる。道は、相変わらず松葉絨毯の道だ。ジグザグに高度をどんどん下げる。8時18分、焚火のあとがあるちょっとした踊り場をすぎ、そのすぐ下で耳無溪營地006の標識を見る。途中で、足の痛みを訴えるメンバーが大変そうなので、ほかのメンバーが荷物の一部をかわって担ぐ。9時ごろ、相変わらずの下りは、樹相に変化が現れ、広葉樹の落ち葉が道を覆う。さらに10分ほどで坂は、また緩やかになる。高度はもう2100mぐらいまでになる。落差約1200mの下りの1000mほど下がってきた。もう沢音もよく聞こえる。
遠多志山山頂
大分がさがってきた
ちょっとしたピークの上で休憩をとり、また急になった坂を下る。尾根が細くなり、左下に耳無溪が流れている。最後に補助ロープのある急坂を下りきり、10時に耳無溪の脇に降りる。予定時間で下ってこれた。ここで1時間ゆっくり休憩をとる。沢の水をたくさん飲む。標高1900mの谷底から約700mの落差を登り返さなければならない。
下方に耳無溪を望む
主流を渡渉し、すぐわきの支流へ
渡渉点を検討したところ、やはり対岸にロープが取り付けられているところが、流れは急だが水中に置石があり、今の水流では問題ないと判断し渡る。対岸の岩にあるロープを頼りに岩を登り、次にまた支流を渡渉する。その先、丘に上がるとキャンプ地がある。道はしばらく支流に沿って登っていく。山道の入口がちょっとわからず探す。

支流を渡る
まばらな雑木林の中を登る
支流の左岸を行く道は、まばらな雑木林やところどころカヤの間を登っていく。覚悟を決めれば、登りもまたOKだ。歩き始めて約1時間、七三〇林道008の標識をすぎるころ、道は支流の支流にそって進む。一度休憩をとり、12時35分、森から出て沢沿いを登り始める。勾配もだいぶ急になってきた。ここが最後の水場だ。先ほど、耳無溪でけっこう飲んだはずだが、まだまだ口が乾いている。過去二日間は、トータルでみて体は、かなりの水不足になっているのだろう。この水場でも休み、水を飲む。
山道はここで沢から離れる、左にマーカーが見える
沢から離れ、遠くに無明山が見える
沢を離れ、補助ロープがある急坂を登る。森に入る前に、振り返ると沢の向こうに高峰が見える。その形からして、無明山とその左に見えるのは鬼門關山だ。ここは標高約2200m、随分と高く見える。その左には、我々が下ってきた遠多志山からの尾根もある。急坂が過ぎるると、道はアカマツ人工林に入る。13時35分、少し緩やかな場所で休憩をとる。標高2350m、登り返しの3分の2は過ぎた。道はところどころジグザグに高度を上げる。高度が低くなったこともあるが、汗が流れる。先ほど飲んだ水で、体にだいぶ水が戻ってきたのだろう。七三〇林道029の標識を見てももなく、14時33分730林道分岐に登りつく。これで主な苦労は終わりだ。

アカマツ人工林の中を登る
730林道に登りついた
林道の倒木を越えて進む
塩ビ管が現れた、残りは少しだ
休憩後、林道を下り始める。残りはひたすら歩くだけだ。緩い下り坂は、距離が延びる。15時7分、王小明と電話番号の看板を見る。ここでシャトルサービスに連絡し、迎えに来てもらう。林道は、茶岩山の尾根を回り込み、西陽が差し込み明るくなる。このさき、しばらく高巻き下巻きがあるが、大したことはない。15時半、15Kの水場で少し休憩をとり、残り3K強を歩く。塩ビ管や水タンクが現れる。登山口はあとわずか。向こうから人が来る。シャトルサービスの運転手だ。16時30分、11.7K登山口に着く。今日は13㎞を歩いた。休憩込みで9時間半である。

無事登山口にもどった






シャトルサービスの車に約1時間ほどゆられ、14日に宿泊した民宿に着く。今回は、一般交通機関利用で、一日二便の午後13:30発1751番バスはすでに通り過ぎているので、もう一泊し朝に帰ることにする。環山の7/11で仕入れた食品やビールなどを、投宿し風呂に入ったあと、メンバーで食し無事登山を終えたことを祝う。翌朝、9時にやってきた1751番バスで、往路と同じく宜蘭経由で台北に帰京した。

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1751番バスと宿泊した王小明登山協助站(民宿)
中央山脈北二段の縦走は、予想より厳しいものであった。それは、自分の体力の問題もあるが、水を持ち上げなければならない、難所の多い縦走路なども関係している。体力のある登山者は、四日で終了することができるそうだが、今回歩いた日程であれば無理なく行けると思う。天候が悪ければ、なおさらだ。天候面では、出発前の予報ではあまり期待できるものではなかったが、ふたを開けてみると毎日よい天気に恵まれ、素晴らしい景観を眺めることができた。ありがたい。五日間合計で50㎞の距離を歩いた。


ニイタカマンネングサ
今を去ること80数年前、日本人登山パーティが初めて歩いたこの稜線は、人気ルートでないし、ましてや日本の登山者に知られず、登られるようなことも少ないと思う。筆者は、台湾の高山はつくづく若いころ歩いた日本の南アルプスを大きくしたものと感じているが、今回はその感をまた深めた。水場が少ないのは、南ア縦走よりさらに条件が厳しいともいえる。最後に費用については、台北から環山(環興)までのバス代は443元(140+303)、民宿は一泊400元、山岳保険702元、そしてシャトルサービス一台片道2000元である。一人当たり、443元×2∔400元×2+702元+1000元(2000元X2÷4)で、都合3388元であった。現行レートで約11800円である。

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