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2019-09-09

2019年9月7日 陽明山系 石門土地公嶺 - 青山瀑布 - 老梅瀑布 - 二坪頂 日本海軍機墜落記念碑を訪ねる

尖山湖の日本海軍機墜落記念碑
去年9月に二坪頂から一巡りして青山瀑布と老梅瀑布よりまた二坪頂にもどる予定で山に行った。青山瀑布まで歩いた時点で、最終バスに間に合わないため、予定を変更し舗装路を老梅へと歩いた。この時に予定していた尖山湖の日本時代の海軍海軍機墜落記念碑を訪れることもできなかった。そこで、この記念碑がある尖山湖步道をまず金山経由で土地公嶺から行って歩き、老梅瀑布から二坪頂への道をも歩いていく計画で、今回の山行となった。

東から西へと歩く
2~300メートルの上下を挟んで進む
台北陽明山山系の北側に位置する今回の登山対象
タクシーで登山口まで行く
今回は、少し遅めの台湾大学バス停8時半発1068番バスで金山へ向かう。高速道路に上がる前の四か所あるバス停から乗客が乗り、ほぼ満席で走る。約1時間20分で金山に到着する。先の便で金山へ到着していた、メンバーがタクシーの手配をしてくれていたので、すぐに5台のタクシーに分乗し、石門区內阿里磅にある土地公嶺古道の登山口へ行く。今まで三度訪れている竹山古道阿里磅瀑布への登山口(倒照湖47號民宅)を通り過ぎ、峠を越えて少し下る。金山から20分足らずで、內阿里磅47~47之1の近くにある登山口に着く。タクシー代は一台あたり400元だ。

土地公嶺古道登山口
草に覆われた階段
今日は、筆者を入れて19名とちょっと多めだ。休日であることも関係している。登山口には立派な地図が取り付けられている。まだ新しい。10時半過ぎ石段を踏み、畑の脇を登る。すぐに土地公の祠のわきを過ぎ、舗装路をまたいで、古道が林の中に入っていく。真新しいステンレス支柱の手すりがある。踏み跡は、ところどころ草をかぶっている。歩き始めて約15分で、木製の橋を越える。そのすぐ先で、踏み跡がはっきりしなくなる。そのうち、倒木で道筋が切れる。少し回って道を探す。古道らしい踏石の場所もあるが、だいぶ草をかぶっている。板を使った階段も、草をかぶり注意しないとわからない。11時5分、大きな屋根がある土地公の峠に着く。わきにあるベンチで休憩をとる。

峠の土地公祠(右)とベンチ、道標
藪漕ぎして登る
土地公嶺へ尾根道を行く。ここも少し手すりが取り付けられているが、すぐに密生したカヤの藪漕ぎとなる。二年ほど前に、藍天隊が道の整理をした後、あまり歩かれていないのだろう。草の向こうに金山方向の景色が見える。カヤと林を交互に越えて、高度を上げていく。バラ科植物や黃藤のとげが引っ掛かる。ここまで荒れているとは思わなかったので、鎌を持ってこなかったのが悔やまれる。11時43分、前方の草の向こうに竹里山が見え、三角点のある山頂(標高525m)に着く。今日の歩きの最高点である。後方のメンバーが登ってくるのを待つ。

金山方面を望む
土地公嶺山頂付近から竹里山を望む
急坂を下る
全員がそろい、西に下っていく尾根上の道を行く。こちらは林の間の道で、カヤの藪漕ぎに悩まされることない。けっこう急なところもあり、ロープが取り付けられている。20分ほど下ると、石積の土留壁で作られた棚田にくる。すでに廃棄されて久しく、樹木が茂っているが、まだかなりしっかりしている。数段の棚田をすぎ、12時20分に用水路に降りる。左に曲がり、用水路に沿って少し進む。右に下る道をとり、下方の舗装路へ出る。さらに下り、12時34分尖山湖步道の入口にくる。大きな石に歩道名が刻み込まれている。休憩をとる。近くには、まだ使用されている棚田が見える。

廃棄された棚田
棚田脇の用水路
尖山湖步道の入口
まだ使用されている棚田
記念碑わきの筆者
10数分の休憩後、歩道を進む。間もなく舗装路が終わり、左に木製階段が始まる。入口には、上部にある日本時代の海軍機墜落記念碑についての説明板がある。木製階段は良くメンテがされている。数分登ると、石段に変わる。階段はかなり急だ。13時2分、記念碑に着く。石碑の両脇には、花崗岩に金文字で説明文が刻まれている。石碑そのものは、昭和12年(1937年)11月26日、支那事変が起きた後、海軍機が中国に向けて飛び立った。中国の漢口(現在の武漢の一部)上空に行ったが、天候が悪く台湾へ折り返した。台湾に戻った時、ここで墜落し7名の士官兵士はすべて死亡した。この石碑はその殉死を記念するもので翌年建てられ、毎年事故のあった日に追悼式が行われていたという。戦後、石碑は捨てられていたが、1999年に観光目的で石碑を探し出し、ここにまた歴史遺跡として復活させた。

急な階段道を登る
稜線上の分岐、左は竹里山へ続く
下方に沢と橋が見える
記念碑での小休憩後、さらに坂を上る。かなり急な石段が、さらに3,4分続く。樹木の間から、先ほど登った土地公嶺の稜線が望める。やがて坂が緩やかになり、13時19分竹里山からの稜線道と合流する。緩やかな道を進み、左に涼亭を見ると、急坂で谷に下っていく。つづれ折れの道を下り、13時34分沢に着く。橋の脇から沢際に降り、昼食休憩をとる。メンバーはそれぞれ、好きな場所に広がり休む。我々以外に、若い者数名のグループもいる。1時間の休憩時間を設けたので、筆者は持ってきた即席めんを作る。ビールも開ける。

沢わきで休憩する
青山瀑布
青山歩道を老梅瀑布へ向かう
14時半、青山瀑布に向けて下る。10分ほどで、滝下の展望台に降りる。ここも十名ほどの遊楽客がくつろいでいる。沢沿いにさらに下る。15時、一番下の橋の脇から、老梅瀑布への道に入る。こちらは土の道だ。道は山腹を登り気味に行く。途中、沢歩きをして下ってくるパーティとすれ違う。かなりの人数だ。おそらく最近はやりのビジネスとしての沢登り活動だろう。最後に少し下り、15時23分沢わきに降りる。目の前は老梅瀑布だ。こちらは、落差は少ないが滝つぼが深い。わきには冷泉が湧き出ているという。少し進んで渡渉点にくる。ロープが張ってあるが、水量も多く慎重にわたる。渡ったあと対岸で少し休憩をとる。

老梅瀑布
ロープのかかる渡渉点
15時40分過ぎ、二坪頂へ向けて落差約200mの最後の登りを始める。ここからの道は、あまり歩かれていないようで、踏み跡は頼りない。沢にそって山腹を登り気味に行く。片側が切れ落ちている場所には、ロープが渡してある。数分で老梅溪の主流から右に支流にそって進む。支流を渡って少し、道筋がきれた。地図では沢の左岸を進むようになっている。どこかで分岐を見過ごしたのかと、戻ってみるがそうでもない。再び先ほどの場所へ行くと、メンバーの一人が沢沿いに進んだところで、踏跡を見つけたようだ。果たして、そこからは踏跡が進んでいる。先ほど踏跡が切れているのは、おそらく大水で流されてしまったのだろう。

沢から離れ登っていく
ここで主流から離れ右に支流にそっていく、右にはロープがある
藍天隊のマーカーが現れた
16時過ぎ、沢を右岸に渡る。その先からは、道は舗装されている。といっても、廃棄されて久しく、草に覆われている。二坪頂から16:55発のF132バスで下山する予定だ。このバスは最終便なので、道を急ぐ。しばらく登ると左からの道を合わせる。二坪頂古道へ続く道だ。一度近道の土の急坂を登り、また廃棄舗装路を登る。つづら折れで高度を上げる。途中、捨てられたスクーターを見る。そのうち、往来のある車道に合流、左に進む。左には、竹里山から竹子山の山々が傾きはじめた陽光の中に立っている。工事途中で廃棄された、かなり大きな建物を通り過ぎ、16時37分北星真武殿の山門前にでる。

竹里山(左)から竹子山への稜線を望む
北星真武殿山門
右に折れて少し下っていくとF132バスがやってきた。このバスは終点まで行きおり返してくる。乗車すべく合図するが、空のバスは全く無視して下っていく。そのあと、また二度ほど我々の脇を通り過ぎ、そのたびに合図をしても全く取り合わずに下って行ってしまった。メンバーの一人は、車が迎えにやってきた。この車で、数回に分け後店バス停まで送ってもらい、数キロ歩かなくて済んだ。後店バス停でしばらく待ち、18時5分にやってきた876番バスで淡水に出る。30分ほどの乗車後、数名のメンバーと一緒に淡水の街で食事をして、帰途についた。

空のF132バスは我々を無視して下っていく
コミュニティーバスは、本来地元の車をつかえない住民、老齢者や子供たちのための足であるが、地方政府が民間バス会社に金を払い運営しており、地元乗客だけに限るとはなっていない。確かに登山者が多すぎると、地元住人が乗れないなどの問題もあるが、政府運営部門はどうすべきなのか回答がない。公の金で運営している以上、政府はその支出とサービスについて、明確に回答する責任があるはずだ。地元民に限るというのであれば、それは一つの回答であるし、またそれ以外の条件を付けるならそれも一つの回答だ。現在のように、運転手の一存で決まってしまう状態は、問題だと思う。

後店バス停から876番バスで淡水駅に向かう
歩行距離8.4㎞、累計登坂700m、下降540mだ。活動時間は、休憩込みで6時間半であった。
今回のルートは、中間の尖山湖步道や青山步道は、しっかりとした道でまったく問題がない。その前の土地公嶺古道の部分は、せっかく整備された道がほとんど使われずに、草に埋もれているのは残念だ。老梅瀑布から二坪頂への道は、道筋が途切れている場所もあり、ルートファインディングができる経験者向けだ。

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