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2019-10-01

2019年9月28日~30日 晴天の雪山主峰 ~嵐の志佳陽大山 日本時代の次高山登山道を歩く

中央山脈無明山西峰から遠望する雪山主峰と、前に延びる志佳陽大山の稜線(2019/9/17撮影)
日本時代に新高山と呼ばれた玉山(標高3952m)に次ぐ標高3886mの高さを誇る雪山は、次高山と呼称された。玉山が、台湾南部に位置するのに対し、雪山は台湾北部に聳える。英語名シルビア山、付近の原住民はバボ(山の意)・ハガイと呼んでいた。過去三年間、筆者はこの山塊の大部分を歩いてきた。今回は、まだ歩いていなかった、主峰から南東に下る稜線と、そこにある志佳陽大山を歩いた。

主峰山頂のメンバー
雪山主峰は、人気ルートである。武陵農場の登山口から、東峰を経て登る道は、多くの登山者が登っている。大正4年(1915年)7月に、測量の目的で蕃務本署の財津久平一行が、東峰の稜線を経由し、主峰に初登頂している。しかし、日本時代には、このルートではなく志佳陽大山から登っていた。麓のシカヤウ(現在の環山)部落から、標高差約2200mをカバーする厳しいルートだ。大正15年(1926年)7月に登った、台湾高校旅行部秋永肇の記録を見ると、二日がかりでほぼ現在のルートと同じ道筋で雪山主峰を往復している。この登山時には、鹿野忠雄も同行している。

北側から出発し、南へ縦走
三日間の歩行高度
シカヤウ部落は、台湾北部の主要原住民泰雅族(アヤタル族)の重要な部落で、周辺によい猟場を有していた。部落民は狩猟のために山を登り谷を渡っていた。日本人登山者は、この部落民の案内と荷物ポーターを得て、登頂している。上記の秋永肇の一行も、宜蘭からピアナン警備道を経由しシカヤウ駐在所から司界蘭溪(シカイラン渓)を遡行、志佳陽大山(シカヤウ山)の山腹にとりつき、志佳陽大山を越えて次高山荘があった跡地(当時はまだ建てられていない)の近くで設営、翌朝ガレの急な涸沢を登って登頂し、同日中に下山している。その後、雪山登山は盛んに行われるようになり、昭和4年(1929年)には、100人を収納できたという次高山荘が建てられた。

雪山山脈の高山が集まる
東峰から登るルートは、主峰の大きなカールの下に出て登頂する。そこで見る主峰は、すぐ右に拳のようないで立ちの北稜角ピークとは対照的に、優美で穏やかな印象を与える。一方、志佳陽大山から登るルートは、巨大で覆いかぶさるような岩壁のもとを急登する。荒々しく、まったく別の面持ちだ。ビャクシン(圓柏)の原生林や立ち枯れが現れ、翠池のような林相を見せる。志佳陽大山は、台湾百岳に選ばれており、多くは軽装で日帰り登山をする。標高差は1500mほどあり楽な登山ではないが、さらに主峰へ登るあるいは主峰から下る登山者は少ない。

雪山主峰からの下りで見る、ビャクシンの立ち枯れとその向こうに南峰と志佳陽大山、遠くに中央山脈
今回5名パーティでの登山は、もともと先に雪山北峰を登り、稜線を主峰に縦走、その後志佳陽大山経由で下山の計画であった。ところが、登山二日目に米塔台風が台湾の東海岸に近付く可能性が高いことを知り、急遽北峰へのルートをやめ、直接主峰に登って雪山山莊舊址(以前の次高山荘跡地、戦後取り壊されたという)のキャンプ地へ降りた。北峰から主峰への縦走路は、台湾で一番高く森林限界以上の数キロの道であり、嵐の中を行くのは危険だが、志佳陽大山の稜線は一部草原で雨風にさらされるものの、全体として森も多くまた標高も低いので、この選択だ。三日目は、台風はいよいよ台湾北部に接近し、雨風も強まりその中で環山部落へ下山した。四日の予定を一日縮めた。三日目は、台北などは台風接近のため、学校や会社官庁などは、臨時休日となっていた。下山後は、環山の民宿で一泊し、翌朝帰京した。

風雨の中、志佳陽大山の草原を行く(Yさん撮影)

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第一日 9月28日 台北 - 宜蘭 - 武陵農場登山口 - 七卡山莊

登山口から七卡山莊への短い歩き
約2㎞の歩き
武陵賓館とその前に回遊バス
二週間前も、中央山脈北二段縦走のために、同じ交通手段で環山へ向かった。今回も同じように國光客運1751番バスに宜蘭で乗車、15時16分環山前の武陵農場で下車する。武陵賓館へ歩き、そこから予約しておいた農場内回遊のバスに乗車する。1751番バスは、農場のビジターセンターへまでしか行かず、そこから雪山登山口までは歩くとけっこう距離がある。この回遊バスに乗れば、その苦労が省ける。他の遊楽客と一緒にバスで向かう。16時19分、登山口に着く。

登山口のテラス、雲が厚く景色は見えない
登山口入口の道標、目的地までの距離を表示
空は曇り小雨がぱらつき始めた。今日は途中ずっと雨で、武陵賓館では少し青空も見えたが、ちょっと残念だ。晴れていれば、眼前に中央山脈の峰々が連なっている。支度を済ませ、登山口の係員に入山書類を渡す。この登山口は、これで五度目になる。前回は、昨年10月に雪山西稜を縦走して下山の際に通過した。

つづら折れの道を登る
七卡山莊の食堂
16時半過ぎ、歩き始める。石段道が続く。つづら折れで高度を上げていく。石畳はところどころ途切れ、木製階段の部分もあるが、さすがに主要登山ルートであり、立派な登山道だ。下山してくる多くの登山者とすれ違う。17時7分、右に展望台を過ぎ、道は緩やかになる。山腹にそって進み、17時半暗くなる前に七卡山莊に着く。今日は土曜日なので、宿泊者が多い。後ほど到着する登山者もあり、全体で7割満杯というところか。明日は長丁場で、3時起床4時出発の予定なので、食事を済ませた後20時前早々に就寝する。


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第二日 9月29日 七卡山莊 - 雪山東峰 - 三六九山莊 - 雪山主峰 - 雪山山莊舊址營地


七卡山莊から主峰を越え、雪山山莊舊址營地へ下る
歩行高度表
ヘッドランプをつけて出発
早々と出発するパーティもあり、少し騒がしい。3時に起床、寝室脇の食堂で、昨日南山村で買っておいた握り飯などで朝食を済ませる。山荘入口の寒暖計は13度を示している。4時に、ヘッドランプを頼りに歩き始める。この登山道は状態がとても良いので、暗くてもヘッドランプで歩くのも全く問題ない。すぐにつづら折れの急坂が始まる。暗いので、100mごとに増えるキロポストだけが、進捗度を示す。

哭坡下の展望台近くで夜明けを迎える
哭坡を登る
4時45分、3K近くで休憩をとり、さらに登る。5時10分過ぎごろから、少し白み始める。森を出て、ふもとの灯火が見える。5時半、4Kを見るとすぐに哭坡(泣き坂の意味)下の展望台に着く。展望台の上にはテントが設営してある。5時40分過ぎに哭坡にとりかかる。東の中央山脈のシルエットが明瞭になり、空には茜色の雲が浮かぶ。今日の天気は大丈夫のようだ。哭坡は標高差100mほどだが、直射日光にさらされた急坂なので、経験の少ない登山者は苦労するので、この名前だ。

哭坡の上から中央山脈の山々を望む
東峰分岐、遠くに聖稜線の山々
6時に哭坡を登り切り、道は比較的緩やかで上り下りのある稜線を行く。道脇のカヤは、少し黄色がかってきている。東側には、中央山脈の南湖大山から中央尖、そして2週間前に訪れた北二段の甘藷峰,無明山から鈴鳴山への峰々が、谷を挟んで連なっている。その時は、向こうからこちらの峰々を望んでいた。6時34分、5Kの雪山東峰分岐に着く。右は巻き道だ。左に山頂に進む。大した登りのない東峰山頂(標高3201m)にすぐ着く。

東峰から、主峰(右)から南峰と志佳陽大山へと下る稜線を望む
三六九山荘はすぐだ
山頂からは、主峰から延びる南峰-志佳陽大山への稜線が谷を挟んで下っていくのが、見える。主峰から南峰への稜線は、かなり急傾斜だ。主峰から聖稜線が北に延びる。素密達斷崖をへて右に品田山から桃山への武陵四秀の山々がある。7時に出発、少し下り気味の道を三六九山荘へ向かう。黄色く色づいてきた木の実が、秋が近いことを示している。昨日の雨のせいか、道の水たまりが多い。7時47分7Kをすぎ、すぐに三六九山荘に到着する。山荘下の椅子テーブルで休む。近くで休んでいた外国人にグループ集合写真撮影を頼む。会話をすると、現在香港在住のスコットランド人だそうだ。

三六九山荘前のメンバー
三六九山荘上の草原を登る
山荘で協助から台風海上警報が間もなく出される予定だという。朝出発の際に、北峰と主峰への道の分岐になる三六九山荘で、どちらに行く最終決定をするつもりで来たが、この情報を聞き、主峰へ向かうことにする。8時35分、歩き始める。間もなく、右に凱蘭特崑山近くの稜線に登っていく水管路が分岐する。左に草原の斜面をジグザグに登っていく。去年に山荘上部の草が焼けたが、黒く焦げた樹木が見える。高度があがり、振り返れば東峰の遠く向こうに中央山脈が見えてくる。

ニイタカトドマツの上に凱蘭特崑山北峰がのぞく
石瀑を過ぎる
9時9分、草原の登りが終わり黒森林に入る。ニイタカトドマツの原生林だ。道はゆっくりと登っていく。しばらく行くと、高いトドマツの森の向こうに、もともと歩く予定だった凱蘭特崑山北峰稜線と、その下のザレの登り道が望める。9時35分、8.6Kの石瀑を過ぎ休憩をとる。休憩後、水場で水を補給する。今日宿泊予定の、雪山山莊舊址營地は近くに水場があるが、下っていかなければならず、到着時間が遅いと水くみも大変だ。そこで、一日分の水を担いでいくことにする。

登山道脇の水場
森林限界を超えた
主峰カール底
水場を過ぎると勾配がきつくなる。途中で一度休憩し、11時35分黒森林を出て森林限界を超える。道端にニイタカシラタマの小さな花が咲いている。さらに進みカール底に来る。前面に幅広く広がる主峰とその右に北稜角が迫る。12時10分、ビャクシンの大木の下で休み、昼食をとる。

霧が去来する中、雪山主峰へ登る
カールを望み、最後の登りを行く、左のピークは北稜角
主峰上の筆者
12時24分、主峰山頂に向けて最後の登りに取り掛かる。すぐ右に主峰と北稜角との鞍部へ続く道を分ける。道は山腹を進み、稜線近くを登っていく。メンバーの一人がちょっと遅れ気味だ。ガスが去来し、周囲の風景は霧に見え隠れしている。13時53分、最後のメンバーが到着し、雪山主峰山頂(標高3886m)に立つ。幸い霧は晴れ、周囲の景色が望める。

山頂の南から下り始める
これから下る谷間をのぞき込む
急坂を下る
14時5分、下り始める。環山登山口まで12.5Kのキロポストを見る。道はすぐに急坂になる。踏み跡は、今までの道に比べると頼りない。歩いている登山者が少ないことを示している。ただ雪霸國家公園の管理する道なので、キロポストや説明板などはしっかりしている。ビャクシンの枯れ木が多い。ニイタカマツムシソウやタカネナデシコのほか、トリカブトが咲いている。冬は雪と強風にさらされるこの斜面で懸命に生きている。

斜面には枯れたビャクシンが目立つ
道標が倒れている
谷間を下る
まっすぐ下ってきた道は、山腹を左にトラバース気味に進む。そのうちガレの谷間に入る。道標が倒れている。15時、谷間からでて11.9Kを見る。眼前には、切れた岩壁が落ち込む砦のようなピークが迫る。振り返れば、迫ってくるような斜面が覆いかぶさる。少し休憩をとる。アキノキリンソウの群生もある。谷を挟んで、大劍山や佳陽山、その向こうには雪山西稜のピークがのぞく。

見上げると岩壁が覆いかぶさるようだ
谷の向こうに大劍山
砦のような岩峰
ビャクシンの森の中を下る
少し進むと、道はビャクシンの原生林に入る。森を下ること十数分、道はまた石が埋め尽くす涸沢に降りる。補助ロープのある岩場も少しある。ところどころ、右岸の森に逃げて大きなギャップを過ぎる。16時9分、道脇に木柵が現れる。すこし休憩をとる。標高はすでに3400m、約500mほど下ってきた。キャンプ地まで残りの高度差はあと100mぐらいだ。

涸沢を下る
岩盤の露出した谷底を下る
また谷に降りて下る。説明板が倒れている。大水などで押し倒されたのだろう。岩盤が露出する谷間の底を進み、右に矢竹の中をトラバースしはじめる。水源まで200mという標識を見る。山腹を進み、左におそらく水場へ続く道が下っていくのを見る。10.9Kのキロポストが現れて間もなく、ちょっと登り返す。16時54分、今日のキャンプ地に着く。もともと次高山荘があったという場所は、今は建物を想像させるものは何もない。説明板が説明しているだけだ。キャンプ地の右に南峰への道がある。

水場への道標をみると矢竹の藪漕ぎ
雪山山莊舊址營地
早速設営し、食事をとる。標高はまだ3300mあるので、この時間は寒くなってくる。霧がだいぶ濃くなってきたようだ。木々の向こうに聳える岩壁が見えなくなる。今日は9.4㎞、累計で1550mの登り、750mの下りである。休憩込みで13時間の活動時間だ。長時間の活動と下りの緊張で、みんなかなり疲れたようだ。明日の天候がどうなるのか、不安な気持ちで就寝する。今日の好天気は、嵐の前の静けさなのか。



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第三日 9月30日 雪山山莊舊址營地 - 志佳陽大山 - 環山登山口

雪山山荘跡地キャンプ地から環山へ下る
下りメインの歩き
雨具に身を固め、撤収作業
昨晩は、絶えることなく強い風が谷間を吹き抜けていた。朝5時に起きると、風のほかにテントを打つ雨音もある。幸いここは深い森の中、風は強く吹き付けてこない。食事をすませ、雨具に身を固めた後、テントをでて撤収する。地面シートの下は雨水で濡れているが、それほど多くなく内部はぬれずに済んだ。

トドマツの森を登り気味に行く
登山口まであと10K
志佳陽大山の説明板、その向こうは真っ白な霧
撤収を終え7時に出発する。キャンプ地から南峰へ行けるが、この天候ではあきらめる。霧の中の森は、苔の緑がひときわ鮮やかに映る。ここはニイタカトドマツの純生林だ。標高は、東峰ルートの黒森林と同じぐらいだろう。少し登り気味に山腹を行き、7時44分尾根を越えて右(西)側の山腹を進む。登山口まで10Kの新しい道標を見る。山腹道を進み、8時15分稜線に上がる。志佳陽山を望むという説明板がある。このポイントから、写真にあるような風景がみえるのだろうが、今日は真っ白な霧のなかだ。

霧が一瞬薄れ、稜線が見える
雨の中の志佳陽大山山頂
矢竹の高さが低くなると、風と雨にあおられる。稜線を追っていく道は、森の中に入ったり出たりする。森に入ると、今度は背丈の高い矢竹の中を泳ぐ。水をたっぷり含んだ矢竹を行くのは、大変だ。上下の雨具以外にポンチョをかぶっているが、それでも濡れる。9時19分、志佳陽大山最高點を過ぎる。下り始め9時30分、8Kを通過、さらに数分で志佳陽大山の三角点山頂(標高3289m)を過ぎる。この辺りはずっと草原で、雨風が強い。

草原の端に瓢箪小屋の白い屋根が見える
小屋へ向かう
下っていき、10時前瓢箪小屋に立ち寄る。この名前の由来の瓢箪池は、ほとんど水がない。そのちょっと小高いうえにある小屋は、屋根と壁はしっかりしておりこの風雨の中では、十分に休める。メンバーの一人は、雨風ですこし寒さを感じている。途中では、ほとんど休めるところがなかったので、ここで腰を下ろし食べ物をとる。

馬武霸山への分岐点、右へ下る
急坂を下る
20分ほどの休憩後、下り始める。坂は急になる。10時50分、稜線を馬武霸山へといく道を分岐し、山腹の坂を下り始める。下り始めると、風がほとんどなくなる。志佳陽大山最高點以降は、人気ルートなので道の状態はよい。ただ、ところどころ土が削られて深く堀のようになってしまっている。道はアカマツの森の中をどんどん下る。11時31分、坂が緩くなり賽良久營地に出る。池のような水たまりができている。休憩をとる。

水たまりができている賽良久營地
アカマツの森を引き続き下る
道は枝尾根を追っていく。11時39分、6K通過。ところどころカヤの間を行くが、おおむね松葉の山道だ。12時17分、5K道標で休憩をとる。風はほとんどなくなり、雨も小止みになる。標高は約2400m、この下りのほぼ半分の高さだ。さらに下り途中で一回休憩をとり、14時14分、3.1K營地に降りる。これで主要な下り道は終わりだ。ホッとする。

3.1Kに到着
鉄の桟道を進む
14時30分過ぎ、最後の3Kの道を行く。小沢を渡り司界蘭溪の左岸を進む。ほぼ平らな道は、今までの下りに比べると天国だ。ちょっとした岩場を下り、沢を越す。鉄製の橋や桟道が続く。日本時代は、こうした便利な橋や桟道はもちろんなく、上記の秋永肇たちは、渡渉を繰り返して進んでいた。

突然現れたキャベツ畑の農道を歩く
最後の高巻き道を行く
15時7分、突然眼前にキャベツ畑が現れる。ここからしばらくは、幅の広い畑脇の農道を行く。15時20分、橋を越えて右岸にわたる。また細い川沿いの山道を行く。途中果樹園の中を過ぎると、高巻き道が始まる。最近整備されたという高巻き道は、本当に急だ。雨も降りだし、滑りやすい。最後の力で登り、正規の山道に戻る。幅広の道に合流し、ジグザグに下ると四季蘭溪吊橋のたもとにくる。ここは登山口でもあり、入山書類投函の箱がある。橋を渡り、16時過ぎ希瑪農莊民宿に着く。ここは吊橋のすぐわきだ。

登山口に着いた
吊橋から希瑪農莊を見る(10/1撮影)
民宿にはひとけがない。以前宿泊した経験のあるメンバーがオーナーと連絡する。しばらくすると、オーナーがやってきて民宿を開ける。事前に連絡ができなかったので、食事は提供できないが、ビールや食材をバイクで代わりに買ってきてくれる。夜は、我々貸し切りのような民宿で、ゆっくり夕食をとり、無事に下山したことを祝う。今日は活動時間9時間、距離は約10㎞、累計約2000mほど下った。

この農用車で 落差100m上のバス停へ


翌朝10月1日、谷底にある民宿から7甲号道路のバス停に、農用車で送ってもらい9時前にやってきた1751番バスで帰途に就いた。宜蘭まで出てくると、空は青空になり、周囲の山々がとても近くに感じた。我々は、台風が一番接近したときに歩いていたようだ。







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台風進路図
今回は、番狂わせな速足台風で予定の変更が余儀なくされた。それでも、志佳陽大山経由での歩きができたのは、本当によかった。ほかのルートに比べるとずっと粗削りで原始的な雪山の風貌に触れることができた。この山行で、筆者は雪山山脈の主要な山峰はほとんど歩いた。もちろん、部分的に未踏の稜線部分もあるが、いずれまた訪ればよい。
台風が接近した9/30は、入山管理当局から参加者本人と連絡人に電話がきた。安否確認のためだ。

道わきに咲くニイタカシラタマ
今回は、費用的には予定ではなかった民宿泊(500元)があるが、それでも山岳保険(380元)を含め全部で約2000元ほどだ。日本円で約7000円というところ。数十年前の台湾高山登山は、聞くところによると一般給与の数か月分がかかったということだ。それに比べれば、はるかに安く登山ができる。アプローチも、秋永肇一行は、台北出発から埔里へ出るのに10日を費やしている。そのうちの雪山登山は二日であり、ほかはアプローチの時間だ。今は、バス乗り換えで台北から約4時間半ほどですむ。時代の進歩といえばそれまでだが、登山というスポーツが一般的になるには、こうした社会資本が充実する前提が必要ということだ。

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