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2021-01-25

2021年1月24日 埔里 舊武界越山 - 橫屏山縱走 埔里六秀の二座を歩く

2020/11に行われたトレールラン催事の山頂表示

前日の台中小百岳三座の登山
がプレリュードで、今日の縦走がメインプログラムだ。盆地の埔里は多くの山に囲まれているが、そのうち六座が選ばれ埔里六秀と呼ばれている。六座は、埔里の街を見守る守城大山,その稜線上を行くとたどり着く關刀山南東眼山,有勝山,そして今回の対象である舊武界越山と橫屏山である。筆者はすでに上記前者三座を登っている。当二座は、深い谷を挟んで対峙するが、その間をつなぐ稜線がある。そこで縦走一回で二座を登頂できる。途中には上り下りがあるが、二座を別々に登るよりは時間も労力もセーブできる。ただ、この縦走は距離がありそう簡単ではない。

谷間の青山橋登山口から時計回りに回遊
歩行高度
埔里の街の南東に位置する二座
橫屏山は、埔里盆地のへりにある山で街中から仰ぎ見ることができる。その名前が示すように、屏風のように盆地からの視界を遮るので、この命名だろう。一方舊武界越山は、ちょっと奥まっているのである角度からでないと市街からは見えない。舊武界越山の山名はちょっとおもしろい。武界は山を越えた反対側のブヌン族原住民部落で、もともとさらに奥にあった卓社部落民が移住してきた場所である。山を越えて武界にいくので武界越山はわかるが、舊があるということは新もあるのか。ちなみに武界は、ブヌン語のブカイを日本語読み漢字をあてたものだ。去年秋に干卓萬連峰縦走下山後ここを通り過ぎた。橫屏山と獅凸魯山(この山名も面白い)との間から南に下がる山稜には武界山がある。二座の縦走は、先に登山口の青山橋から舊武界越山に登り稜線を縦走して橫屏山へ行き、長い林道を下って出発点に戻る回遊型の歩きである。

橫屏山山頂のメンバー

まだ暗い中の青山橋
資料による標準コースタイムは12時間である。まだ照射時間が短い今は、日暮れ前に下山するには、夜明け前に出発する必要がある。5時に昨晩投宿した民宿を出発、5時半前に青山橋(標高約580m)に着く。ヘッドランプを点灯し5時40分に出発する。はじめは平らな道を進み、そのうち林道は登り始める。十数分進むと鉄の鎖で道がふさがれている。機動車両は進入禁止という表示と録画中との表示がある。後ほどわかったが、ここはトレールバイクが入り問題になったので、管理主体の林務局が禁止したその処置である。筆者は若いころ日本で林道走行をしたが、その後問題が多く進入禁止になったと聞く。同じである。結局程度を越えた者が、問題を引き起こし全部が禁止になるというパターンだ。さらに登り体が温まり、ジャケットをとる。

獅凸魯山方向の稜線が白み始める
広い稜線の道を進む
6時10分、登山口から高度差約250mほど登ってくると空が白み始める。さらに10分ほど登り、稜線上に上がる。標高は約800mだ。暗いうちに歩くと、足元にしか注意が行かないので、知らず知らずのうちに高度が上がっている。右に曲がって広い尾根を進む。道は乾いているが、轍がある。さらに進むと、土の斜面がほられ樹木の根もあらわになっている。これがトレールバイクが禁止になった理由だろう。6時半、夜は明けて振り返ると、埔里の街が見える。7時半、右に道が分岐するところで休憩をとる。

トレールバイクの深い轍の登山道を登る
アメリカなどではトレールバイクが走れるところがあり、彼らは思う存分走っている。しかし、台湾ではこのような樹林の中を深い轍を残して登山道を壊し、植物の根を痛めて植生に影響を与えるのは、適切ではないだろう。自分たちで土地を用意し、走れる場所を造ればよいのではないか。さらにバイク業界もそうした試みをするべきだろう。ただバイクを売るだけでは、行き先細るだけだ。途中杉林を通り過ぎ、8時板仔寮山(標高1380m)に到着する。ここは山頂ではなく、単に三角点がある平らな場所だ。メンバーの一人が、ちょっとついてくるのが大変と、リタイヤする。くれぐれも注意して下山し、連絡するようにと念を押し、残りの13名で先を進む。

板仔寮山
広葉樹の森を進む
舊武界越山への途上で見る埔里の街と対岸の橫屏山
舊武界越山山頂
8時20分、左に緑のトタン小屋を見る。何かの作業小屋のようだ。朝陽が木々の間に差し込み始める。森が明るくなる。この山は広葉樹がメインで、道には枯葉が表面を覆う。一度少し下り、また登り返していく。8時48分、樹木のきれた場所から、右手に街とその向こうに連なる山脈が見える。上り坂が緩くなりはじめ、9時35分舊武界越山の山頂(標高1668m)が、森の中に現れる。ここが今日の行程最高点だ。登山口からの落差約1100mの道のりを、約4時間ほどかけてやってきた。一休みする。一人下山したメンバーは、問題なく登山口に着いたと連絡が入る。

關頭山方面(左)への分岐

自然にできた倒木のゲート
武界越山主峰
大きな板根の樹木
まだ先は長い。15分ほど休んだ後、出発する。これから橫屏山までいくつかのピークを越していく。下ってすぐ、左に關頭山方面への道が分岐する。こちらからの道は、登山口の高度が高いので、割合と楽に登れるようだ。幅広尾根の雑木林の中を下り、また登り返していく。この山道はトレールランの催しも行われるので、道筋ははっきりしてる。10時43分、森の中の樹木に武界越山主峰(標高1524m)という札が取り付けられている。あまり山頂らしくない。少しの間竹林を進み、また緩い登り下りを進む。11時10分、しばらく平らなセクションが続き、坂が始まる前で食事休憩をとる。地図上には近くに基石があるようだが、道はそこにはいかないようで、場所がわからない。

平らな道がしばらく続く
武界越山南峰の印、山頂ではない
30分ほどの休憩を終え、下っていく。樹木に武界越山南峰の札がつけられている。登り返していくと、尾根は狭まり12時14分崖の上の展望点に来る。中級山は山頂も展望がないところが多いが、途中にはこのような展望ができる場所もある。ここから見下ろす谷は深く、先ほど登頂した舊武界越山が手前に下がっていく枝尾根の向こうに聳えている。左に舊武界越山の尾根を追っていくと、その先には埔里の街も見える。そして、舊武界越山のさらに後ろには守城大山とそこから稜線の左に關刀山が連なって高い。

手前の枝尾根の向こうに舊武界越山、そしてその向こうに守城大山(右)と關刀山
背後に干卓萬連峰を見て登る
更に行くと、道は山腹から急坂でシャクナゲ林を登っていく。振り返ると干卓萬山と卓社大山が青く高い。その左に見えている二つのピークは牧山と火山か。これら3000mの峰々は我々がいる山とは深い濁水溪の谷を挟んでそびえる。坂を登りつめ少しシャクナゲの稜線を行くと、左に山腹へと下る。稜線はおそらく岩などが露出して危ないので、山腹を進む形なのだろう。山腹を20分ほど進み、右から下りてくる尾根に上がる。少し進んで、12時51分平らになった場所で休憩する。

シャクナゲの尾根行く

竹林を抜けていく
獅凸魯山山頂
前方に橫屏山
乱雑に竹が倒れる林を抜け、登り返していく。坂が緩やかになり、13時18分突然のように獅凸魯山の表示が取り付けられた樹木を見る。ここが山頂のようだ。標高1583mの山頂には三角点はない。この山も変わった名前だ。どのような命名の由来なのか不思議だ。休まず先を急ぐ。すぐに左に武界山への道を分ける。しばらく下り登り返したところから、前面に横屏山が頭を表す。また下り、13時48分山頂への分岐を左に最後の登りを行く。3分ほどで横屏山山頂(標高1508m)に到着する。明るい山頂だが、樹木に囲まれ展望はない。時間がまだ少し早いので、長い林道下りを前に30分ほど長い休みを取る。

横屏山山頂
横屏山下の林道から対岸の舊武界越山を見る
孟宗竹の間を下る
14時25分、下山を始める。先ほどの分岐へ下り、左に進む。道はすぐに林道になる。右が開けた場所から、今まで歩いてきた対岸の舊武界越山からさらに右に続く稜線が見える。メンバーは感心している。林道は少し平らに進み、下り始める。孟宗竹林の間をつづれ折れで下っていく。竹林が終わり、杉林となる。15時12分、近道をとりまた林道に合流する。その近くには、大きな別荘が二軒ある。その先から舗装路になり、足を速める。桜が咲いている。時々見える横屏山がどんどん高くなっていく。15時42分、施錠された鉄の門を過ぎる。その先で左に大きく曲がり、勾配が緩くなると農場を左に見る。16時2分早朝に車を停めた青山橋を渡る。これで山歩きは終わりだ。着替えをして帰路に着く。途中、食事をとり台北には21時に帰り着いた。

別荘がある
青山橋から登った山を見る、左奥は舊武界越山,右奥は横屏山、前面は枝尾根
12時間の歩行予定に対し、約1時間半早い10時間半ほどで歩き終えた。メンバーは後半林道歩きは行軍のようだと揶揄するが、つまらない林道歩きは早く終了するほうが良い。帰りも時間がかかるし、先に降りたメンバーも一人で待つのは退屈だろう。距離約21㎞、登坂1820m、下降1825m、コース定数は45になる。

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