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三坑近くの挑擔細路のモニュメント、背後は溪洲山
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樟之細路は、松尾芭蕉の奥の細道を連想させる。 樟はクスノキとそれからとれる製品、樟脳などを意味している。日本ではクスノキ(楠)と樟脳は別の文字なので、二つは結び付かないかもしれない。細路の細は、客家語の小さいという意味だ。この部分は奥の細道の「細道」と同様の響きと言ってよい。樟脳は、化学合成で同等のものができたので、今は殆ど見かけない。しかし過去には、台湾に大量に原生していたクスノキをもとに、一時期は世界生産量の七割までまかなっていた重要な商品で、世界に輸出し外貨を稼いだ。つまり、樟之細路が行く地域はたくさんの樟脳を生産しそれを運搬していた道があったということだ。
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桃園石門から新竹關西へ歩く |
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後半は山歩き |
台湾は90年代ぐらいから、民主化の動きが進むと同時に、自分の足元の歴史を探る動きが出始めた。国民政府のもとで歴史教育は中国本土の歴史がほとんどで、筆者ぐらいの年代の台湾人は学校で台湾の歴史をほとんど習っていない。今はだいぶ変わり、台湾は中国本土の歴史とは違う歩みをしてきたことが、広く認識されている。中国共産党は統一をしきりに宣伝するが、今のようなアプローチでは決して主流台湾人の心を動かすことはできない。清朝時代のことを持ち出しても、ほとんど説得力はないだろう。
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台3線に沿った里山的な地域を行く樟之細路 |
こうした背景のもとに、樟之細路というコンセプトが生まれたと思う。自分たちの先祖が台湾という土地にどのように根付き生きてきたかを探り、自ら見聞き体験するための道として樟之細路が提案された。もともとの細い歩道は、いまでは車が通る舗装路になっているところが多い。樟之細路は一本の古道ではなく、短く残る古道や山道、そしてそれらをつなぐ舗装路から構成される。単なる山登りや古道歩きではなく、台湾北西部の里山地域、そして客家人が多く占める地域を、自分の足で歩き古跡を巡り、田園風景や里山の平和で美しいさまを体験するものだ。
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樟之細路のマーカーリボン |
樟之細路という言葉が広まり始めたのは、実はつい最近のことである。英語ではRaknus Selu Trailと称される。Raknusは北部山地原住民タイヤル(泰雅)族やサイシャット(賽夏)族のクスノキを意味する言葉、Seluは客家語の細路(セィルー)である。つまり、台湾の北西部里山地域で登場する原住民や客家人、閩南人の過去の歴史を表象している名付けだ。世界には、長距離の歴史的トレールがある。日本の熊野古道などまさにそれだが、台湾でも樟之細路をそうした歴史トレールにしたい思いがある。熊野古道ほどの長い歴史はないが、台湾でも先人の生きざまを連想させるということでは、十分にその資格はあると思う。
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太平紅橋にて |
冬の台湾北部や東北部は、天気が悪い日が多い。それを逃れるため、また気温も低くこうした里山地域を歩くに適切な時期でもあるので、今回は初めて樟之細路を歩いた。初めてと、いっても部分的には過去の訪れた場所もあり、筆者にとって全部が見知らぬ場所ではない。しかし、別の観点から同じ場所を歩くのは、またその価値がある。初めての樟之細路歩きということで、以前よく参考にさせてもらった蕭郎獨步山林の記事を参考に歩いた。桃園の石門から台中の東勢まで続く長い樟之細路のうち、第一セクションとして關西までを歩いた。
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中壢裏駅から5055番バスで向かう |
台北駅から105次自強號急行列車で中壢に向かう。7時43分に到着、駅近くのバス停から8時5分発5055番に乗る。バス停は、表駅(
前站)側の桃園客運總站(バスターミナル)ではなく、裏駅(後站)の脇にあるバス停だ。時刻表より少し遅れバスは出発する。途中龍潭で買い物客などを載せ、バスは満員になる。9時少し前、目的地の十一份バス停で下車する。平日である今日のメンバーは全部で七人だ。気温も歩くには程よく、青空のもととてもよいハインキング日和だ。
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百年古井 |
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挑擔古道入口 |
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三坑老街入口 |
石門水庫に近いこの場所は、筆者にとってかなり前から訪れているので見慣れた場所だ。しかし、付近の古道を歩くことは初めてだ。石門國小のわきの道を行くと百年古井と記された井戸がある。井戸そのものはふたをされ、今は使われていない。挑擔古道はその井戸の少し先だ。大漢溪の河岸段丘上にあるここから、下っていく道が挑擔古道だ。大漢溪は、今は水量もそれほど多くないが、道路や鉄道が発達する前は重要な交通路であった。大漢溪の船着き場である三坑仔へと続く道として、樟脳や茶葉をはじめ様々な農作物やその他商品が人に担がれてこの道を往来したという。今は石畳の歩道になっている。
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黑白洗 |
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三坑老街の通り |
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サクラビール看板 |
古道は、河岸段丘を下る部分だけで、すぐに車道に出る。対面に渡り三坑へ進む。9時21分、三坑老街の看板を見て集落へ入っていく。すぐに当時の洗濯場として使われた、黑白洗がある。これを過ぎて少し進むと商店が並ぶ。昔ながらの通りだ。左側の店には、古ぼけたサクラビールの看板がかかっている。サクラビールは、日本時代のビールだ。最近サッポロビールが復刻版を出しているようだが、帝国麦酒会社九州門司工場で生産され、台湾にも輸送され販売されていた。
八通関古道などの遺跡でサクラビールのビール瓶をたびたび見かけた。平日の朝なので、人出はほとんどない。休日だと遊楽客が多いのだろう。
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大漢溪へ下る、畑の向こうに河、対岸は溪洲山 |
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三坑自然生態公園 |
老街の中心である永福宮の脇をとおり、大漢溪の方向へまた下っていく。稲刈りが終わり休耕中の畑や大根畑の脇を行く。歩く速度だと、路傍に注意がいく。今は舗装路だが、本来この道は先ほどの挑擔古道の続きだろう。説明板が道端にある。交通標識に樟之細路のマーカーリボンが結んである。川沿いの道を右に曲がり、10時12分三坑自然生態公園(標高約110m)に入る。ここもほとんど人出はない。このあたりは、大漢溪から内陸へ、またその逆の流れを支えた過日の主要流通の要であった。現在は近くを流れる沢が集まる湖の周りに、自然公園として整理されている。大漢溪の対岸は
溪洲山の山並みだ。
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公園内部の湖 |
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打鐵坑溪沿いのサイクリングロードを行く |
公園を抜け、打鐵坑溪沿いのサイクリングロードを登っていく。10時50分、太平紅橋に来る。客家人の集落である太平の下に日本時代の1923年、日本人を含む民間人の寄付や政府の補助によって架けられたレンガ造りの橋である。橋わきの石碑には寄付者などの記載がある。今では道が換わり、通常往来にはほとんど使われていないようだ。100年たってもまだまだしっかりしている。橋わきを通り過ぎ、車道の橋下をくぐる。少し行くと椅子があるのでそこで小休をとる。
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太平紅橋 |
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伙房崎古道入口の樟之細路説明板 |
サイクリングロードをさらにいき、打鐵坑溪を離れて河岸段丘下の清水坑街を行く。土地公のすぐ先に上の段丘へ登る古道がある。この道を登り八德路を左に進む。伙房崎古道をまた清水坑街へと下る。畑の脇をすすみ、現れた打牛崎古道を登って民族路へと上がる。これら古道は、段丘の上り下りの部分だけなので、2、300mととても短い。民族路を南へと歩く。そのうちに澹園バス停を見る。このバス停や周囲の住宅は見覚えがある。それは
六年前にここから八寮古道へと歩いたからだ。
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打牛崎古道入口 |
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挑茶古道路線圖説明板と休憩場所 |
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茶畑の脇の桃65線を歩く、遠くに金面山 |
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小粗坑古道入口 |
茶畑を左にみて進む。その遠くには
大溪金面山のピラミッドの山頂が望める。路傍には,挑茶古道路線圖という説明看板がある。今はほとんどが舗装路になっている道は、その昔は關西などの奥地から茶葉を天秤棒でこの道を通り三坑へ運んだと記している。民族路は桃65号県道に合流、その先台3乙線をまたいで小粗坑古道の入口へと登っていく。12時18分、古道入口(標高約280m)にある土地公のところで食事休憩をとる。
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小粗坑古道を登る |
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石門山登山道との分岐に登りつく |
12時44分、小粗坑古道を歩きはじめる。ここからは山道歩きだ。古道入口の樟之細路説明板には、日本時代に開かれた牛車が通れる道だという。戦後の石門水庫建設による住民移住やその後の自動車道路発展で忘れられた古道は、今またハイキング道として復活している。はじめは緩やかだが、途中から勾配がきつくなる。1㎞を少し過ぎたところで、13時10分石門山登山道と合流する。右に折れて舗装路へ出る。舗装路を登りること10分で、十寮山登山口(標高約490m)に着く。
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十寮山登山口 |
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十寮山山頂 |
保線路と思われる道は、登ること5分ほどで送電鉄塔の下に出る。右に曲がり尾根上の道を進む。13時32分、十寮山山頂(標高538m)に着く。6年前に見た昭和四年の(総督府)内務局の基石はまだ健在だ。ここが本日行程の最高点だ。小休のあと下っていく。樟之細路の一部に指定された山道は、状態がよい。以前草深かったところも、しっかり草が刈られている。13時49分、八寮古道と交差する峠鞍部を過ぎる。東畚箕窩山へと登り返す。こちらの道も整備されている。10分足らずで山頂(標高483m)に着く。
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稜線道は手入れがされている |
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八寮古道の峠鞍部分岐 |
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東畚箕窩山山頂に到着 |
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前方に老虎山 |
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開けた稜線からは展望ができる |
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老虎山山頂 |
稜線道は細い桂竹の間をくぐり、12,3分で次のピーク石人崠山頂(標高428m)が現れる。山頂には、コンクリの水槽がある。水が溜まっているが何の用とかわからない。次のピーク老虎山は少し遠い。左側がススキで開けた稜線を下り、鞍部から登り返す。遠く關西方面の山々があるが、初めて見るものだ。14時41分、老虎山山頂(標高395m)に着く。ここも樹木に囲まれ展望はない。
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打牛崎步道上の枝が絡まりあった奇妙な樹木 |
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急坂を下る |
下山は左に降りるものと、尾根を進む打牛崎步道の二つがある。後者は、下の方の木製桟道が壊れているので、別の道を取るように勧める表示もある。通行不能ではないので、予定どおり打牛崎步道を行く。尾根上の小ピークを越え、急坂が始まる。桟道は、手すりは残っているが踏板はかなり破損し、歩行ができない。そこで脇に新しい踏み跡を下る。15時25分、歩道入口に来る。入口脇の石碑に歩道名と2009年が記されている。造られたあとは、ほとんどメンテされていないのだろう。涼亭も草に埋もれている。ここだけはないが、せっかく造った道をメンテしないのでは、金をかけて造る必要はないだろう。特に税金を投じて造ったのであれば、なおさらだ。業者からキックバックを期待して造ったのではないかと、うがってみたくもなる。
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壊れた木桟道 |
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打牛崎步道口 |
入口で一休みして、竹28号県道を下り始める。すぐ左に茄冬樹神木を見る。2㎞ほどやってくると左に休耕中の畑に小花が一面に咲いている。その向こうには靈骨塔がある。畑で作業中の農婦がいる。道端に酸菜が干してある。ありふれた、しかしとても平和な田園風景だ。16時を少しまわったところで、広い台3線を横切り關西鎮の街に入る。小熊博物館を左にみて、牛欄河の橋を渡る。市街の中關西鎮公所をみて左に曲がり、16時40分國光客運のバス停に着く。17時前に1820番バスがやってきて台北に帰った。
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茄冬樹神木 |
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休耕中の畑、左に納骨塔 |
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酸菜が道端に干してある |
約19㎞、7時間半の歩きだった。登坂653m、下降723mで、コース定数26だ。舗装の車道歩きが多いが、それは樟之細路の特徴でもある。土の古道部分は少ないが、登山とは違うハイキングであるという前提のもと、先人の営みを思い樟之細路を行くのは別の楽しみがある。筆者は40年近く前に始めて台湾に暮らしたとき、バイクで台3線を走って台中へ行ったことがある。その時は、今のような立派な舗装路ではなく、樟之細路の辺りにくると未舗装の砂利道であった。交通量も少なく、夕方台中に到着したときは顔が埃で真っ黒だった。その頃の道のほうが、はるかに樟之細路のイメージだろう。懐かしいとも思う。
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