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2012-05-16

2012年5月14日 草嶺古道から桃源谷を歩く

草嶺線登山道に咲く華八仙の白い花
東北角の桃源谷は、昨年11月に訪れた。もともと、稜線を草嶺古道まで歩くことを考えていたが、ガスがかかってきてしまい、草原の山で景観がないのでは面白くなく、石観音の道を下った。その後、また訪れることを考えていた。冬、春の間はチャンスがなかったが、5月になり天気も安定してきており、終日の晴天のもと再び訪れた。 去年11月にはガスで隠れていた、山側の景観があった。 双渓の谷の向こう側に 草山や燦光寮山が近いのに気づいた。五分山なども見える。天気はとてもよく陽射しが強かったが、 麓の森の中を除いて、常に風が吹いており、それほど暑く感じなかった。ただ、海にとても近いこの山は、紫外線がとても強く、かなり陽にやけた。

東北角の桃源谷と草嶺古道
大里駅から草嶺古道、草嶺線、内寮線登山道を経て貢寮へ
大里天公廟
桃源谷へは、四つの登山道がある。海側からは前回の山行で通った大渓線と石観音線、草嶺古道から稜線を歩く草嶺線、そして陸側からは内寮線がある。前二者は、短い距離を急坂で桃源谷にたどり着く。草嶺線自身は4.5kmで、この二つの海岸からの道と大差がないが、出発点は草嶺古道の啞口で、そこまでは大里から3km、或いは福隆から7kmを歩いてこなければならない。一方、内寮線は登山道そのものは1km強で一番短いが、登山口から貢寮まで12kmあり、交通機関からは一番遠い。今回は、前回とは異なる道を取り、台鉄大里駅から草嶺古道を鞍部の啞口まで登って草嶺線を歩き、桃源谷からは内寮線を下った後、長い舗装路の下り道を貢寮駅まで歩いた。貢寮駅からタクシーなどで、内寮線の登山口內寮蕭家莊まで来ることも可能だが、谷あいの風景を見ながら歩いて下るのも悪くない。

草嶺古道登山口
前回の桃源谷山行と同じ台北駅を6時40分発の区間電車で出発する。瑞芳までは学生の通学時間と重なるので乗客が多いが、瑞芳で大部分の乗客が降りた。貢寮あたりを通る車窓からは、桃源谷方面の山並みが見える。福隆のトンネルを過ぎ、石城駅の次、大里駅で下車した。時間は8時半、途中急行列車の追越退避などがあるため、台北からは時間がかかる。大里駅は無人駅ではないが、平日の朝のこの時間は、ガランとしている。駅前に、草嶺古道の紹介や道標がある。駅からは、大里観光ビジターセンターまで、駅前の濱海公路とは別の歩行路が作られている。ビジターセンターは、時間が早いのでまだ開いていない。前を通り、隣の大里天公廟を過ぎる。草嶺古道の登りは、この天公廟の脇から始まる。

草嶺古道の護管所
草嶺古道は、清朝の19世紀初期、宜蘭の蘭陽平野を開墾するべく台北地区(当時の淡水庁)と宜蘭(噶瑪蘭庁)を結ぶ主要街道、淡蘭道の一部である。中国から移民してきた漢人はこの道を通り、宜蘭を開拓していった。その後、日本統治時代にも街道の整備が行われ、鉄道や自動車道が整備されるまで約100年にわたり、主要な街道として往来が続いた。近年になり、国家風景区の管理対象として道の整備や施設の建設が行われ、多くの人が訪れている。福隆から大里までの8.5kmを歩き、古人開拓時の苦労を身をもって体験できる。

旧盧宅の跡
盧宅上の古道
十数年前、大里天公廟へは時々立ち寄っていた。多くの信者が訪れ、香火が絶えない。大樹のある石段を上がると、石碑が道の両側に何本も建てられている。これを過ぎると、舗装路が谷に沿い登り始める。舗装が切れ砂利道となる。ヘアピンカーブを過ぎていくと、左の森の脇に自然道入口がある。大里からは、この道を通っても来れるようだ。この道のほうが、少し長い。また舗装路となりジグザグに登って行くと、左側に古道の登山口がある。石畳の古道はここからはじまる。舗装路は、山腹をジグザグに登って行くが、古道はそれを突っ切るように直線的に登り、ところどころ舗装路と交差する。護管所、展望台を過ぎる。木製の展望台から、大里の街が下に見える。更に登ると、古道の往来が多かった昔に、旅人が足を休めた宿、盧宅跡が現れる。苔むした石材が多く散らばり、結構大きな建物であったことが偲ばれる。盧宅跡を過ぎ小沢が脇を流れる古道は、それまでの立派な石段ではなく、盧宅跡に合わせるようにもっと古く角のとれた石段だ。これを登り切ると、古道最高点の峠、啞口だ。大里天公廟から1時間5分の道のり、時刻は9時50分である。

啞口から福隆方向を見る
啞口から大里方向を見る
草嶺線登山道
啞口(峠の説明板では啞は「口」偏ではなく「土」偏)は、鞍部の意味だそうだ。ここから福隆方向に古道は下っていく。周りは大きな樹木はなく、低い潅木と草地である。上の山は古道の名前である草嶺山だ。冬は強い東北風が峰を越えていくので、高い樹木は生えない。峠のすぐ上に景観台がある。ここで食事休憩をとる。啞口は標高約350m、今回の行程最高点は、草嶺線登山道上の湾坑頭山の616mである。展望台から草嶺線歩道の登りが始まる。草原を行く登山道は、陽射しがとても強いが、稜線上には風が吹いている。木製の第一番目の展望台を過ぎる。数名の登山客が中で休んでいる。遮るもののない草原の稜線道では、屋根のあるあずま屋は貴重だ。そのまま、続けて道を行くと、低い潅木の間を登る。道脇には、黒星桜や華八仙の白い花が咲いている。

啞口から20分ほど登ると、見晴らしのよい展望場がある。福隆の街が見える。その左奥にある山々は、九份の山々だ。草山や燦光寮山、牡丹山などが判別できる。展望場のすぐ近くに牛(水牛)が三匹、草を食んでいる。こちらをチラッと見たあと、また続けて草を食む。下の方の草原にも数匹、同じく草を食んでいる。近くにいた牛の一匹が近づいてきた。こちらも写真を撮り終わったので、離れて登り始める。振り返ると、牛は休憩場の石の間に生えている草を食んでいる。

草を食む水牛、背景の山は燦光寮山、草山など九份の山々
展望場を振返る、牛が草を食む
草嶺山への道から振返り見る二番目の展望あずま屋
二番目の展望あずま屋は、ピーク上に建てられている。15分ぐらいで着いた、時刻は10時50分。ここからは360度の展望が可能だ。貢寮の街が見える。赤いアーチの橋が目立つ。今日の行程の終点だ。軽装の登山客が一人、反対から登ってきた。どうやら湾坑頭山へ往復し、その帰りのようだ。次のピーク草嶺山へ進む。石段の間に、可愛い佛氏通泉草の紫の花が咲いている。道の中央に牛用の石柵が道に建てられている。この地形では、牛はどこでも歩いていける。この石柵は何の効果があるのだろうか。展望のよい草嶺山からは、湾坑頭山がだいぶ近くなってきた。一度下って、登り返せば湾坑頭山だ。沖の亀山島は、青い海に浮かんでいるが、今の時間では輪郭がわかるのみだ。湾坑頭山の登りで三番目の展望あずま屋を過ぎる。11時45分、二等三角点のある湾坑頭山頂上についた。ここで、草嶺線登山道のほぼ半分地点だ。

湾坑頭山への道、三番目の展望台が途中にある
海側に切り立っている湾坑頭山は、標高616mである。ここも360度の展望がある。頂上から足元の海岸沿いに行く、鉄道や省道が見える。台鉄の特急太魯閣号が走っていく。ここまで来ると桃源谷が見える。その左奥には、昨年11月に登ってきた大渓登山道がいく蕃薯寮山の尾根が見える。頂上は炎天下で暑いが、食事をとりながら少し休憩する。ここからは、小さなピークの登り返しがあるが、基本は下り道である。頂上から下って少し、最後の良好展望点のピークを過ぎる。石観音寺が石観音山の中腹に見える。その近くから派生する尾根を追っていくと、土砂崩れした石観音登山道の露出部分が目を凝らすとわかる。

湾坑頭山頂上
湾坑頭山から見る海岸、太魯閣号特急列車が行く
湾坑頭山付近から見る展望ピーク、その左奥の石觀音山とその山腹の石観音寺、更にその後ろの蕃薯頭山
大きく下って少し登り返すと、左に展望台への分岐がある。100mほど行くと主稜線から派出した枝尾根のピークである。ここからは、石観音寺が更に近い。左は湾坑頭山が谷を挟んで大きくそびえている。湾坑頭山から海岸にのびる尾根上に登山道があるそうだが、これは健脚向けのものだ。湾坑頭山頂上脇に、それらしい踏み跡があった。登山道に戻り、桃源谷に向けて歩く。草原が近くになってきた。第四番目の展望あずま屋が、山腹からそり出して作られている。ここは、すぐ下に車道が来ているので、誰でも手軽に来れる。あずま屋には、地元の人と思われる数名がお茶や将棋を楽しんでいる。これを下ると、石観音登山道の分岐点だ。前回は、反対側からここまで歩いてきた。脇には先程の人たちの車だろう、バンが1台停まっている。

桃源谷の草原
第四番目の展望あずま屋付近から見る湾坑頭山

桃源谷の道標、ここから内寮方向に歩く
今日の行程の最後になるピークを登り返す。石畳の草嶺線登山道が終わり、草の道となる。今日は天気がよいので迷うことはないが、四方霧だと、踏み跡がないので方向がわかりにくい。下りに、登ってくる二人の登山客とすれ違う。下りきると大渓線登山道の分岐になり、更に下るとあずま屋が草原にぽつんと建てられている。時刻は1時半、大里から歩き始めて5時間、距離にして8kmをカバーした。近くの水場には、牛が二匹水浴びをしている。その周囲にも何匹か草を食んでいる。

内寮線登山道を下る
これからは、ずっと下り道だ。道標は、貢寮駅まで11.7kmとなっている。距離としては、今までのセクションより長いが、山道部分は少しなので所要時間は短い。少し下ると、お手洗いがある。ここからは、草原の道とはお別れだ。コンクリの登山道は、階段の段差が小さく、かえって歩きにくい。道脇には、たくさん説明板が作られている。他の登山道に比べると、特別多い。草原のあずま屋から約20分で、登山道入口についた。登山道入口は、古い石造りの民家のすぐ脇だ。周囲には道標がないので、始めてここから登る場合は少し迷いやすいかもしれない。周辺には段々畑が作られている。大きなガジュマロの樹の下を行き、長い下りが始まる。道標は、貢寮駅へ10kmとなっている。

道から草原が上に見える
道は、始めはわりと平坦で、振り返ると上方には先に降りてきた桃源谷の草原やあずま屋が見える。民家を右に見ると、下りが始まる。左に細い道が降りていく。後で分かったのだが、この道は大きく回っていく車道の近道である。更に下ると、この細い道に合流する。何回かジグザグをすぎ、谷底に降りる。ここからは桃源谷の草原がはるか、上のほうに見える。途中、同じく近道があったが、その時は確実でないので、そのまま車道を下った。谷底の道になり、吉林村の集落などを過ぎていく。車は、時たま通るだけで、交通量は多くない。桃源谷の大きな石の碑が建てられている分岐のすぐ下で橋を渡り、道は対岸を下っていく。大きな民宿、龍山園の施設がある。下り始めて1時間、ほぼ中間あたりで少し休憩する。道脇に駐車スペースと、桃源谷や草嶺古道の説明看板がある。

桃源谷の石碑
川幅がだいぶ広くなってきた。警察駐在所のある集落の前を過ぎる。年老いた住民数名が家の前で、世間話をしている。川は大きく蛇行しているので、道もそれにあわせて大きく彎曲する。川脇には畑や水田が現れる。桃源谷が見えるが、もうはるかに遠い。4時に第2甲省道との分岐についた。貢寮老街を通り過ぎ、旧橋をわたる。すぐ脇には、山の上から見えた赤い新しいアーチ橋がある。地下道を通って線路をくぐり、貢寮駅に着いた。時間は4時10分、着いてまもなく台北行きの区間電車がやって来た。台北駅には17時45分に到着した。

貢寮近くから稜線を見る
貢寮の旧橋
歩行距離20.5km、所要時間7時間半(休憩時間を含む)であった。海岸の脇から登り始めたので、最高地点湾坑頭山の616mが、ほぼ今回の高低差である。稜線道では登り下りもあったので、全部では1000mの登りである。貢寮に近づいたころ、山を見ると一部ガスがかかり始めていたが、全行程晴天のもと歩いた。草原の山は、全方向の景観を満喫することができた。稜線ではゆっくりと景色を楽しんだので、草嶺線登山道での時間が、その距離に比して長いが、それこそ山登りの醍醐味である。急いでは意味が無い。

高度プロファイル

2012-05-07

2012年5月6日 桐花の土城天上山から中和牛埔山へ縦走

天上山登山道上の油桐花
毎年4月中旬から5月は、白い油桐花の鑑賞を中心に桐花節の催事が各地で行われている。土城天上山の麓は、有名な油桐花スポットで、桐花公園とされている。天上山は去年6月に一度登ったが、今回は油桐花の花見も兼ねて、また行ってきた。去年は火焔山を経て天上山に登り、稜線を将軍嶺まで歩いて、緑野香坡へ下って帰った。今回は、火焔山を経ずに直接登り、更に足を伸ばして文筆山、五尖山を越え、中和の円通寺の上を通り楽天宮へ下りMRT景安駅まで歩いた。天気が非常によく、愉快な山行だった。油桐花は、期待していたよりも早く咲いてしまったようで、それほど多くなかったが、山道には白い花が落ちていた。4月下旬の鳶山と同じぐらいな感じだ。晴天の休日なので、山ではとても多くの登山客と出会った。

天上山から獅仔頭山の山塊が南に見える
ルート図(クリックで拡大)
承天禪寺の歩道側入口
今回の山行は、Hさんが同行する。午前7時にMRT永寧の駅でおちあい、承天禅寺に向かい歩く。桐花節の週末は、交通制限が行われ天上山の麓になる南天母広場へ無料シャトルバスが往復している。承天路を歩いているとき、シャトルバスが抜いていった。沢沿いの桟道を行き、車道をまたぐと桐花公園の山門をくぐる。露天商が多く店を出している。まだ朝早いので、観光客はそれほどでもないが、あと2、3時間後にはこの道はかなり賑やかになるのだろう。道脇には仏教関連のものがたくさんある。登ること30分で、承天禅寺に着いた。白壁の禅寺はとても規模が大きい。山腹にあるこの寺からは、土城や板橋の街、その遠く向こうには陽明山の山並みが見える。禅寺の境内を抜け、駐車場のある門に行く。

露天がたくさん出店している
門の前は舗装路で、両脇には多くの露天商が店を出している。ここもあと二、三時間後は多くの観光客で埋まるのだろう。門の対面には天上山への道標があるが、これは登らず舗装路を左に下る。露天商の列が切れ、舗装路が左に折れるところに、二つの登山道入口がある。両方とも桐花公園への道標がある。沢沿いの左の道をとり登る。枕木と石畳のこの道は蛍鑑賞の道であるようだ。100mおきに立てられた道程柱には、「承天賞蛍歩道」と書かれている。若い僧が数名降りてきてすれ違う。緑野山坡という店が現れ、もう一つの登山道と合流すると、そのすぐ上で南天母路に出る。そこから賞桐歩道となる。ここも左右に道があるが、左側を取り登る。道に桐花が落ちている。見上げると油桐花が咲いている。山頂に行かず、右にトラバースして行く道もあるが、これを行けば更に油桐花を見れるのだろう。そのまま道を登りつめると、8時半前に天上山への鞍部である、望月亭についた。

南天母路の賞桐歩道入口
歩道上の桐花
 望月亭で一息ついたあと、天上山へ向かう。途中ピークを越す道と、左に巻いていく道がある。右の道をとり、小ピークに登ると、木々がきれて対面の獅子頭山や大丘田山が見える。去年11月は大丘田山を登るべく歩いたが、道がわからず引き返した。岩と補助ロープのある小ピークの下り道を降り、登り返すと天上山の頂上(標高430m)だ。8時45分、永寧駅から1時間半と少しである。天上山の頂上には、大勢の登山客がいる。みんな朝早くから登っているようだ。頂上の道標に取り付けられている寒暖計は、23度を示している。前回は30度を越えていたが、同じく陽が照りつけているものの、今日は気持ちがよい。尾根づたいに見ると、すぐ近くは五城山、その左奥に文筆山が見える。遠くには霞んでいるが台北101ビルがある。文筆山のすぐ右は緑野香坡の住宅群、左は黄色の屋根の金龍寶塔が目立つ。頂上展望台のすぐ下で、休み食事をとる。

天上山への途上ピーク上から見る承天禪寺と土城の街、川向うは樹林の街と大棟山
天上山頂上から見る五城山、その左は文筆山
五城山への道
頂上から下り、次の五城山へ向かう。甘露公園への分岐を過ぎると、石畳が並行する幅広の尾根道となる。登り下りはあるものの、歩きやすい。石畳は、歩かれていない部分もあり、緑の苔でびっしり覆われている。見るからに滑りやすそうだ。苔の緑に落ちている油桐花の白が目を引く。見上げると油桐花が、まだ咲いている。木々の切れ目からも、山腹に油桐花が咲いているのが見える。大勢の人の声が聞こえてくる。急坂を登りつめると、五城山頂上だ。天上山から30分の道のりだった。展望のない、広い頂上は大勢の登山客がいる。犬も2匹、登山客に混じって間をウロウロしている。

五城山頂上
将軍嶺への道、家族連れの登山客が行く
五城山から将軍嶺までは、下り基調の道である。土の道やコンクリ板の敷いてある道など、道の表情は変わる。この区間も子供連れのグループもいれ、多くの登山客とすれ違う。今日はまさにハイキング日和である。翡翠湖への分岐を過ぎると、木がまばらに切られて展望がきく山腹道を行く。急な坂を登り返すと、送電塔が現れる。ペンキの塗り替え作業中だ。そのすぐ先が将軍嶺だ。去年6月はここまでで山を降りたが、今日は予定行程のまだ四割ぐらいだ。まだ先が長い。小休憩のあと、文筆山へ向かう。将軍嶺を下ると、左に道を折れる。そのすぐ先に小さな畑を突っ切る道があるが、これが文筆山への道だ。この道は誰が整備しているのだろうか、ビニールパイプを使って土の階段の補強してある。結構急な坂を登り切ると、コンクリ板の歩道に出会い、さらに行くと10時半に文筆山(標高375m)の頂上についた。北から東側が開け、展望がきく。陽射しは強いが風が涼しい。

文筆山から見る綠野香坡住宅群、送電塔の奥に見えるのは南港山
五尖山頂上
文筆山から五尖山までは、稜線近くまで造成されている緑野香坡住宅のすぐ上を行く。草やぶのなか、林の間など様々なところを過ぎていく。補助ロープなどの山道整備もしてある。五尖山に近づくとゴミが不法に捨てられ臭いを発している。片方が鉄網で囲われた上り坂を行くと、五尖山の頂上だ。頂上の基石はこの網の内側だが、その部分は網が取り外され、基石の脇の木の幹に山名と標高310mが記された板が打ち付けてある。五尖山からは、東を走る南勢角山の山系と、それに並行する円通寺のある牛埔山の二つの稜線道がある。頂上は展望もないので、そのまま下る。下りきると、石畳の立派な山道が現れた。道を左にとり進む。道はあまり登り下りがない。青雲路へと続く道を分岐すると、道標がない左への土の道が現れる。この道を取り、稜線を進むと11時半に小屋のある広場についた。ここは新加坡だ(なぜ新加坡=シンガポールと呼ばれるのかは不明だが)。二組の登山客がお茶を飲んで休んでいる。板橋の街が下に広がる、その向こうは観音山だ。今日二度目の食事休憩をとる。

新加坡
対面の南勢角山
新加坡は、円通寺への稜線道からすると、西側への寄り道となる。下ると二尖山方向からやって来る石畳の道に合流した。ここを右にとり進むと、牛埔頭山を越えて降ってきた、先に分岐した石畳の道に合流する。円通寺方向に歩く。ほぼ平坦な石畳の道は快適だ。途中永豊街への分岐を過ぎ、道は墓地の間を行く。対面の南勢角山の中腹には、油桐花が咲いてところどころ白いパッチとなっている。墓地を過ぎると道は、稜線をいく土の道になる。一度舗装路を横切り、12時40分玉皇廟についた。ここまで来れば今日の行程は残り四分の一である。観音像がある前庭からは、板橋方向の展望ができる。新北市庁のある、板橋駅付近が近い。すぐ下は、第三高速道路の中和インターチェンジだ。

歩いてきた縦走路を振り返る
長寿嶺近くから見る中和の街
樹齢360年のガジュマロ大樹
一休みしたあと玉皇廟から舗装路を下る。鞍部につくと右に山道が分岐している。この道を取り、少し登り返すと今まで縦走してきた山並みが見える。五尖山とその左に緑野香坡があるが、すでに遠い。その先、天上山方向は五尖山に隠れて見えない。先ほど通り過ぎた墓地が山腹に広がる。山道は稜線をいく。小屋がたくさん道脇に作られ、中では人々がくつろいでいる。仁慈寺の脇をまた稜線へ登り返し進む。このあたりから、道が沢山入りくんでくる。国旗掲揚ポールの立つ長寿嶺を過ぎ下ると、推定樹齢360年の雀榕大木広場につく。このガジュマロは本当に大きく枝は空を覆いかくす。本来、この広場の右端から下りMRT南勢角駅までと考えていたが、左の道を取ったので、その後凌雲亭、楽天宮を通り、中興街237巷へ下り景安駅まで歩いた。

楽天宮登山口
今回の行程は約16km、歩行時間は休憩も含め6時間50分である。土城と中和の二つの行政単位にまたがり、山道の状況も石畳の立派な道から、素朴な土の道まで様々な状態であるが、困難な場所はなく、稜線道もあまり大きな登り下りもなく、歩きやすい。人里が近い山は、道が多く入り込み、慣れていないと予定以外の道に入ってしまうこともあるが、危険などは一切無く心配ない。標高は最高となる天上山が430mで高くないこともあり、老若男女さまざまな登山客が気楽に訪れることができる。

2012-05-02

2012年5月1日 基隆山 - 大粗坑古道 九份の山を歩く

登山道脇に咲く流蘇の白い花、背後は基隆山
九份は、今では台湾観光の必須訪問地だ。日本人観光客がとても多い。でも、ほとんどが九份老街や金瓜石あたりの散策だけで、その周囲の山に登る人は少ないようだ。しっかり整備された登山道があるので、天気が良ければ足を伸ばして九份や金瓜石の地形や景観を上から眺めるのも、かつての金鉱の町を鑑賞するのに役に立つ。

右のルートは昨年9月の金瓜石登山道と貂山古道
去年9月末に金瓜石から金瓜石登山道と貂山古道を経て牡丹まで歩いた。海に近く樹木の少ないこの地帯の山は、夏は強烈な太陽光を遮るものが無く辛い。今年もすでに五月になり日差しが強くなってきたが、真夏到来の前に今回は、九份に近い基隆山を往復、その後また九份の背後にそびえる小金瓜大粗坑山まで登り返し、大粗坑古道をへて侯硐へ下った。

九份から歩き始め、左下の侯硐へ
基隆山登山道入口
基隆山はその古名を雞籠山という。その名の通り、鶏の籠に見える独立峰である。基隆の街の名前は、もともとこの『雞籠』山と同じ音をとり名付けたということだ。標高は588mで、周囲の山に比べて特に高くないが、海岸沿いにそびえる独立峰であり、とても目立つ山である。台北郊外の山々からも、三角形ピラミッドの基隆山はすぐ判別できる。登山口は、瑞金公路の脇にあり、そこから頂上までは約260mの高度差となる。もし海岸からの登りであれば、まるまる588mの登りで、そこそこの登りとなるが、九份から出発であれば、半分ですむことになる。

九份の街は山腹に広がる
基隆山登山だけでは、一日山行としては少ない。そこで、もう一度小金瓜露頭へ登り返し、そこから反対側に下る大粗坑古道を下った。小金瓜露頭は標高560mで基隆山より少し低いが、基隆山から一旦下りまた登り返しになるので、2度目の登りは気温が上がってきたこともあり、少し辛かった。侯硐へは三つの古道がある。小粗坑古道、大粗坑古道、そして金字碑古道である。大粗坑古道はこのなかで、小金瓜露頭から一番近い。廃校になった小学校跡があったり、立派な天橋も作られていて、道としても興味深い。

基隆山山腹の道から見る西方向の眺め、左の五分山から台北市、その右は五指、陽明山系
直行道と山腹道との合流点
台北市忠孝東路のバス停から金瓜石行き7時10分発1062番バスで出発。1時間ほどで、九份老街につく。今日は休日であるが、時間が早いので乗客は少ない。瑞金公路を登り、数分で基隆山登山口に着く。入口の石碑には雞籠山と記してある。石畳の立派な道が始まる。登ること数分で、そのまま直進する道と左に山腹を巻いてゆるい登りの枝道との分岐がある。距離は山腹を行く道のほうが長いが、基隆方向の景色を見れるので、こちらを進む。右の道は石段だが、こちらは土の道である。道はゆっくりと登っていく。途中に展望台が二ヶ所作られている。この道も高い木はないが、まだ朝早いので陽が当たらず、歩きやすい。二ヶ所目の展望台から、山腹の巻き道が方向を換え、高度を上げるようになる。分岐から40分、二つ目のあずま屋のすぐ下で、直行の道と合流した。更に登ること10分、9時20分に基隆山の頂上に着いた。枝道分岐で、そのまま直進した登山客はすでに到着し、しばらく休んでいる様子だ。時間はかかったが、この道は別の眺めができるので、登り或いは下りに歩いたほうが、もっとこの山を楽しめる。

基隆山山頂から東方向を見る、金瓜石とその背後の山々、半平山、燦光寮山、牡丹山
大粗坑山小金瓜、下に欽賢國中と登山道が見える

基隆山頂上
基隆山は独立峰だけに、眺めは広い。登ってきた道のすぐ脇に通信施設があるので、この部分は頂上からの展望が遮られるが、それ以外には頂上の脇に設けられている展望台から、海と山の景色が感動的だ。今まで登った山々から基隆山が見えたが、今回はここからそれらの山が遠くに見える。陽明山山系から、五指山、五分山、中央尖、もちろん金瓜石の谷を挟んで半平山とその右に燦光寮山がある。台北の街、101ビルも見える。茶壺山の頂上岩は半平山から手前側に派生する尾根の突端に載っかっている。海側は基隆の町や港はもちろんはっきり見える。反対側は東北角の先端になる鼻頭角が海に飛び出している。半平山の左にある低い山は苦命嶺や和美山だろう。天気はよいが、日差しが強いので頂上のあずま屋で食事をとり休む。

基隆山登山道とあずま屋、下に九份とその左に墓地
半時間ほど頂上で過ごした後、登ってきた道を下る。基隆山は反対側に下る道はない。枝道の分岐からは、直進の石段道を下る。老若男女が何人もグループで道を登ってくる。天気が良いので、この登り一本の道はきつそうだ。多くは軽装なので、九份観光に来たついで登るというところのようだ。二番目の登山道脇のあずま屋から、道は少しジグザグになり下っていく。約30分で登山口に降り立った。ここは、双渓まで続く双渓公道と瑞金公路の分岐でもある。右に双渓公道を取り、道の両側に多くの墓が立っている中を登っていく。道からは、基隆山や半平山がよく見える。この墓地は、金鉱の栄華を過ごした人たちが、眠っているのだろう。このあたりから見る基隆山は、妊婦が横になっているように見えるそうで、基隆山は別の名を大肚美人山とも言うそうだが、どうみれば妊婦に見えるのだろうか。

双渓公路から見る半平山と金瓜石、手前は墓地
双渓公道を登り、聖明宮の山門前の分岐を右にとる。この道は欽賢中学校へ続く。分岐から登りは少しきつくなる。10分ほどで、小金瓜へ続く山道の入口が左に現れる。表示は金字碑通往九份觀光步道となっている。花崗岩の石畳が敷き詰められた、立派な山道である。ところどころ階段が現れるが、全体的にはゆっくりと山腹を登っていく。途中、白い花の流蘇の潅木が二、三箇所群生していた。基隆山がだんだんと同じぐらいの高さになってくると、この山道もそろそろ終わりに近づく。右から小金瓜露頭へ続く道が合流する。この道を登ると、下ってくる登山客とすれ違った。基隆山とは違い、こちらは登山客はあまり多くない。小金瓜露頭は、金を含む岩石のある場所で、以前は金鉱があった。金鉱開発前の砂金が発見されたのも、ここから流れ出す大、小粗坑渓に砂金が流れていったから、ということだ。もともとかぼちゃのような形状だったそうだが、掘られて形が変わり、今は双渓公路の角度から見ると河馬の頭のように見える。

九份の街と基隆山
小金瓜露頭
時刻は11時20分、基隆山の登山口からちょうど1時間だ。ここからは、反対側が見えるようになる。牡丹山から三貂山へと連なる尾根の山腹を双渓公路がいく。すぐ下の谷には、大粗坑古道の天橋が見える。木々しかない緑の山腹にある白い天橋はとてもめだつ。小金瓜露頭から先の道を戻り、双渓公道への入口まで行く。入口は鉄の門が作られ、車は入ってこれないようになっている。すぐとなりは、大粗坑古道の入口だ。古道といっても、この道はしっかり舗装されている、幅広の道である。古道という雰囲気はない。道はさきほどの小金瓜露頭の下を行き、方向を換えて下ると天橋が現れる。こんな場所に、このような立派な橋をなぜ作ったのか。橋からは、これから通過する集落廃墟が見える。先の広い場所は、大川小学校分校の廃墟である。

大粗坑古道入口
大粗坑の集落は、もともとあった金鉱のためのもので、200戸1200人の住民がいたそうだ。当時の繁栄が偲ばれる。橋を降りてすぐの廃屋の前は、変わらず小沢が流れ、花も咲いている。家屋の中からは、人の話し声が聞こえる気がするが、錯覚だろう。大川分校は、小学一、二年生が登校し、それ以上は麓の本校に通っていた。有名な映画監督呉念真は、ここの出身と聞く。

天橋から見る廃墟と周囲の山々
古道脇の廃屋
ここからは、石段の道となり沢沿い下っていく。沢沿いの道もあまり木々がなく、暑い。途中、天災で流された場所もあるが、それを乗り越えるように道が作られている。萬善堂の祠の脇を下り、森の中をいくと、12時半古道の入口についた。双渓公路の入口から、下ること約40分である。

少し休んだ後、侯硐駅へ向かって舗装路を下る。遠くには五分山のレーダーが前の山の奥に見えている。住居が現れるが、黒犬がすごい勢いで吠えかかってきた。小さいのに威勢がよい。更に下ると、金字碑古道への分岐が現れる。脇に車が2台止まっているが、おそらく登山者がここに置いていったのだろう。ここから下ると右に旧侯硐小学校がある。ここは、2000年の台風の鉄砲水で大被害を受け、廃棄されたそうだ。すでに土砂などは取り除かれ、教室や校庭などははガラガラである以外、被害の程を知ることはできないが。沢では地元の人達だろう、釣りをしたり水遊びをしたりしている。瑞芳へと続く瑞侯公道を左に曲がり、侯硐の集落を過ぎる。狭い道を観光客が車を駆って通り過ぎる。基隆河を橋で渡り、右に侯硐駅が見えてきた。

侯硐の集落、残る廃屋
侯硐は炭鉱の町であったが、付近の炭鉱の町と同様に石炭産業は廃れ、今は観光の街へと変身している。多くの観光客が駅の周りにいる。到着した電車からは、多くの観光客が降りてくる。1時10分に駅につくと、ちょうど台北方面の電車が出るところ、次の電車は1時間後だ。ここでゆっくり待ち、14時12分発の電車で台北に戻った。

今回の山行は、距離10.6km、時間は5時間である。高度差は、二回の登りであったので合計600mを超える。小金瓜への登りの際は、陽が陰り助かったが、それでも太陽光線は強く、手や顔はすっかり日焼けした。東北角の山は、まだまだ登るに値する道が結構ある。金字碑古道などもそうだが、それ以外に草山やそれに連なる苦命嶺などの山々もある。いずれは登ってみたい。

侯硐の橋から見る大粗坑山方向
高度プロファイル