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2019-12-29

2019年12月28日 陽明山系 頂湖山 - 大屯山西峰 - 火燒山 - 面天山 - 忠義山

ススキが風に波打つ向天山
陽明山山系は台北から近いので、筆者の本格台湾登山の初期には頻繁に訪れた。その後も時々訪れてはいるが、ほぼ歩きつくした感があるので最近は多くない。11月に日本の福山山岳会の案内で七星山に登ったのが最新だ。今回は、大屯山西峰や面天山など何度も訪れている山もあるが、その前後は初めての訪問だ。火燒山は、この一、二年に新たに開かれた道であり、頂湖山や忠義山は前からある登山道だが今回初回であり、それぞれ行程の前と後ろに配置して歩いた。

東側から出発、山を越えて復興崗に下る
歩行高度表
小9バスで最後の二名が風尾バス停に到着
東北季節風が吹き二、三日天気が悪かったが、今日はちょうどその合間で天気が回復、登山日和となった。7時半過ぎにMRT北投駅前のバス停に集合し、登山口の風尾バス停に向かう。山の上のこのバス停には小9だけでなく小26など三系統のバスが通っている。先にバス停で待っているメンバー、すぐ後でやってきたメンバーを含め今日は全部で9名のパーティーとなる。風が冷たく、けっこう強く吹き付ける。台北付近の冬の山の趣だ。

朝もやの中の紗帽山、手前に桃の花が咲いている
畑の間の道を登る
全員そろったところで、8時17分歩き始める。車道を渡り、対面の坂道を登る。集落の中で左に曲がり進む。そのうち集落をでて山道にとりかかる。この辺りは畑へ通じる農道で、階段石も置かれている。森を抜ける。左に朝もやの中に紗帽山の大きな山容が浮かぶ。その手前には桃の花が咲いている。8時39分、畑の中の坂道を登り切り、屋根だけの作業小屋で小休憩をとる。坂道をのぼってくると、体が温まり汗が流れる。衣服を調整する。

無尾崙山頂
森の中の緩やかな道を進む
小屋の脇から登り始める。それまでの農道とは様子が変わり、登山者だけの山道であまり歩かれていない、頼りない道になる。マーカーリボンがあるが、道は草深い。坂道が緩やかになり、8時54分コンクリ基石を見つける。表示がないが、おそらく無尾崙だろう。その少し先、右から道筋のはっきりした山道と合流する。同じく頂湖から並行してやってくる道だ。広く緩やかな道を進むこと約10分、分岐に来る。右にとりさらに登っていく。9時7分、頂湖山山頂(標高662m)につく。森の中の山頂、展望はない。

@頂湖山山頂
寒緋桜がすでに咲いている
山頂からは広い尾根を少し下っていく。鞍部から少し登り返すと、石畳の道に出る。十八份から登ってくる、中正山登山道である。しかし、あまり歩かれていない感じだ。左の日当たりのよい場所では、緋寒桜がすでに赤い花を開いている。ゆっくり石畳道を登っていき、9時16分舗装路に出て、対面に中正山第一登山道入り口を見る。周囲には四、五台の車が停めてある。登山者のもののようだ。道標に取り付けてある寒暖計は14度を示している。

中正山第一登山口
石段道を行く
小屯山を過ぎてススキの間を進む
登山道は石段道だ。道は濡れている。昨日まで二、三日雨だった。登りが続く。高度が合が上がると霧が多くなり、視界が狭まる。9時51分、歩道の最高点を通り過ぎ、少し下って分岐点を見る。右の道はこの道は未開放であるという、公園の表示があるが、過去に何度か歩き問題もない。この道をとって進む。草が雨水で濡れている。急坂を登り切り、ススキの間を進み、間もなく小屯山(標高877m)に着く。ススキの間を藪漕ぎして少し下り、森の中に入る。道は山腹をトラバースしていく。ちょっと崩れ気味のところもあるが、道の状態は悪くない。未開放にする理由がない。途中、左に大屯谷へ下る道を分け、10時20分大屯山南峰への道との分岐に来る。

大屯山南峰への分岐に着く
大屯山西峰へ急坂を上る
ここからは公園の正式登山道だが、土の道はグチャグチャだ。歩いて少し、知り合いのC君が単独でやってくるのに遭遇する。ここから行きかう登山者が俄然多くなる。10時35分、右に大屯坪への道を分け、大屯山西峰の急坂にとりかかる。直線的に登る道は、かなり急で滑りやすい。10時48分、大勢の登山者がいる大屯山西峰に着く。霧の中の山頂は、かなり風が強い。下り道も、赤土の滑りやすい坂道が続く。補助ロープが完備しているので助かる。11時18分、面天坪の涼亭に着く。昼食休憩をとる。今日はコンロを持ってきているので、即席めんを作る。

@大屯山西峰
面天坪の涼亭につく、ここで昼食
火燒山
12時10分、出発する。分岐を右にとり進む。数分で、向天池への道の分岐に着く。そのすぐわきから、右におれて森の中を登る。はじめ少しは石畳があるがすぐに土の道になる。カーペットが敷いてある場所を過ぎると、登山者が開いた道になる。山腹を登り気味に行き、急な坂が現れる。12時半、森がきれてススキの間を登り、すぐに火燒山(標高895m)の山頂につく。空が明るく、時々霧が風で吹き飛ばされて、面天山や向天山の山頂が見える。

ススキの間から登山道にでる

また森に入ると、すぐに分岐を見る。右にとり面天山へ向かう。最後にススキの間の急な坂を登りきると、石畳登山道に出る。左に登山道を引き続き登る。12時51分、大きな反射板のある面天山山頂(標高977m)に着く。広い山頂脇の展望台に登る。風がとても強い。海側は霧が晴れて、觀音山、淡水や三芝がはっきり望める。淡水はライトレールシステムができ、その周辺にたくさんの住宅ビルが立ち並んでいる。

面天山からの展望、手前の山は向天山、淡水河を挟んで觀音山。右には淡水の街
台北港と淡水河河口
水のない向天池
石畳道を下る
一度鞍部に下り、向天山に登り返す。道脇のススキは風に吹かれて波打っている。向天山から下り、向天池の脇に降りる。周囲をめぐる道を右に取り、13時28分興福寮登山口への道との分岐に来る。先に左に水のない向天池へ降り、陽だまりで休憩する。10分ほどの休憩の後、興福寮へ下り始める。ここから貴子坑へのルートは、8年前の夏に歩いたきりだ。途中、ショートカットの部分を通り過ぎ、約30分で登山口に着く。登山口の脇に、水道とはけがある。そこで泥だらけの長靴を洗う。

真聖宮から下りてきた山を見上げる
台北の街の向こうに雲瀑のかかる山並みが連なる
用水路脇を行く貴子坑步道
舗装路を下り、真聖宮でトイレに立ち寄る。さらに舗装路を進み、少し登り返して少し下る。眼下には台北の街が広がる。その向こうには插天山の山並みとそれから流れ落ちて消える雲瀑が望める。少し先で右に折れ、その先で下菁礐步道に入る。民家の間を谷に向かてく下り、15時2分貴子坑步道との分岐に来る。スタンプ台の脇から、山腹にそって進む用水路の脇の道を歩いていく。山襞にそって進むこと約20分、用水路から離れ涼亭に着く。この辺りは最近手入れされ、様子が変わっている。15時20分休憩をとる。

ゴルフ場わきを進む、左奥に面天山
お墓のある芝生のオープンスペース
貴子坑步道はここから左に大きく下るが、直進して忠義山へ向かう。しばらく進むとゴルフ練習場脇に出る。國華ゴルフ場脇の車道を進み、鉄の門がある忠義山への道に入る。この辺りの道しるべは、台北大縦走路としてつい最近更新されたようでまだ新しい。幅の広い道の脇に少し入ったところに基石がある。嘎嘮別山(標高233m)という板があり、そばの幹には同じ山名と括弧して忠義山とある。広い道をさらに行くと、開けた芝生にでる。大きな墓がある。左に少し行き、涼亭を過ぎた先スタンプ台のところから、石段が下り始める。そのわきに基石があり、こちらも忠義山と記されている。

忠義山山頂
選挙間際だが、道標に取りつけるのは?
休日の午後なので、まだ登ってくる人も多い。十数分下り、行天宮の脇で歩道は終わる。右に行天宮の中に入り、16時25分境内で少し休む。広い境内を通り過ぎ、 MRT脇の道に降りる。右は忠義駅、左は復興崗駅、距離はほぼ同じぐらい。左にとり線路沿の道をゆく。16時50分、復興崗駅に到着しすぐにやってきた電車で台北に帰った。

行天宮、背後は忠義山
路上長い休憩をとったこともあるが、約8時間半ほど要した。当初考えたより少しかかった。距離は約15.5㎞、累計登坂約1050m、下降1300mである。頂湖山への登り口と火燒山は道標もなく、地図を読まないとわからないが、その他はしっかりた道標もあり、道の状態もよい。

2019-12-23

2019年12月21日 網形山 - 豎旗山 - 柑腳山 雙溪の古道を経て再訪

ススキが背景の豎旗山山頂の標識、まだ新しい藍天隊の道標
新北市雙溪區の豎旗山を再び訪れた。今年九月初めに、藍天隊が道の草刈整理をした後一度おずれた。この山は、以前から訪れようと思っていたがススキが密生する稜線は、草刈された後でないと、とてもではないが困難だ。話に聞くところによると、藍天隊の陣容をもってしても最初は、北側溪尾寮古道からの稜線を伝って山頂までしか整理できなかったようだ。我々も夏の時は、同じく北側からの道を山頂へ往復した。その後藍天隊は9月下旬に、今度は南の烏山古道から北へ稜線への道を整理した。そこで、今回の山行となった。

雙溪地区の南から北へ歩く
二つの山越えルート
ルートは、雙泰產道の烏山古道登山口から峠に登り、先に網形山を往復し、その後北へ稜線を豎旗山の稜線をへて山頂に登る。引き続き北へ溪尾寮古道へ下り、壽山宮で昼食、先に鯉魚山福德宮に立ち寄り、その後保成坑古道を経由して柑腳山へ再び登り、その後崩山坑古道と大埤古道をへて清水坑へ下山した。保成坑古道は、過去に何度か一緒に登った老莫さんが行方不明になった場所の近くである。9月に一人で近くの料角坑で下車した後、再び見つかっていない。捜索隊が編成されて捜索が行われたが、発見されていない。

タクシーで登山口へ
台北を6時23分発の、203次自強号で出発する。7時20分前に雙溪駅に着く。外に出ると雨は降っていないが、地面は濡れている。天気は回復方向にある。今回は都合12名のメンバーだ。タクシーに分乗して出発点に向かう。タクシーは三台必要なため、ちょっと時間を要した。5年前に訪れた烏山古道の入口になる雲霄精舍の少し先で下車する。タクシー代は、一台あたり600元だ。8時ちょっとすぎに三台目のタクシーが到着し全員がそろう。

烏山42號民家前を通り烏山古道が始まる
状態のよい烏山古道
少し雨がぱらつく中、歩き始める。舗装路を烏山42號民家前まで行き、前庭を横切りその奥から山道に入る。前回は下ってきた道を、今度は登っていく。広い土の道は、緩やかに高度を上げていく。沢をこえて、草もない良い道を進み8時25分炭焼窯跡に来る。少し休み、汗が出てきた衣類を調整する。濡れた道をさらに進む。8時42分、峠に着く。バスの時間が気になり、5年前にはいかなかった網形山へ往復する。最近入った藍天隊は、豎旗山への稜線道だけでなく、網形山への道も手入れをした。そのため、道の状態はよい。南に登り気味に稜線を行き、8時55分網形山山頂(標高693m)につく。南側が樹木がなく、天気が良ければ鶯子嶺などが見えるはずだ。

霧の中の網形山山頂
豎旗山の稜線を登る
補助ロープの坂を登る
下りは、道が滑りやすく慎重に下る。9時15分鞍部に戻り、北方向に豎旗山へ稜線道を進む。濡れた森の中は、下草が濡れている。壊れた傘の布を前掛けにして進む。赤い珊瑚珠の赤い実が、濡れた緑に映える。十数ほど進むと森の木が少なくなり、ススキの稜線となる。勾配も次第にきつくなり、ところどころ補助ロープの急坂で高度を上げる。空は時々青空が、霧の切れ目にのぞく。湿度が高いせいか、汗が流れる。勾配を登りつめ10時に、ちょっと開けた場所で休憩をとる。

豎旗山南峰
豎旗山へ向けてススキの藪漕ぎ
歩き始めてすぐ、豎旗山南峰(標高800m)につく。ここは右に尾根が烏嘴尖へ降りていく。この枝尾根上には道があるが、藍天隊の道しるべが示すように長い間歩かれていないようで、行くとしたらかなり難儀だろう。とにかくススキが密生する稜線で、かなりの草刈や藪漕ぎが必要になる。豎旗山の主稜線は、まだ草刈から3か月ほどで問題ない。登り下りのある稜線道を進む。草の上に糞がたくさんある。イノシシのものだろうか。彼らもこの草刈された道の恩恵をあずかっているようだ。10時30分過ぎ、豎旗山山頂(標高814m)に着く。9月に訪れた以来、けっこう登られているようだ。ここも多くの糞が刈られた草の上に転がっている。

溪尾寮古道登山口に着く
新しい淡蘭古道の道標
壽山宮牌樓近くで食事、犬が物欲しそうにやってくる
頂上からの道は、以前歩いているので様子が分かっている。ススキの道が切れると、森の中を下り、またカヤの密生した山腹道を下ると、森の中に入る。ちょっと登り返し、大きなコンクリ製タンクの脇を過ぎる。もうすでに使われていないようだが、何の目的の物なのかわからない。緩やかな長い稜線を下っていき、11時40分に溪尾寮古道登山口に着く。対面に稜線をさらに下っていく道がある。これを行けば料角坑に直接降りるが、壽山宮で食事をとるつもりなので、右に舗装されている溪尾寮古道を下っていく。雙泰産道に下りきり、左に曲がって12時10分、壽山宮につく。山門脇の売店は、今日は大勢の人が食事をしている。我々はその後ろの屋根のある場所で、昼食休憩をとる。空も晴れてきて、気持ちが晴れる。

鯉魚山福德宮の祠
用水路に使われた石菅
30分ほどの休憩後、12時46分午後の歩きを始める。手前の橋を渡り、左に鯉魚山福德宮へ沢沿いの道を行く。ちょっと小高い場所に土地公の祠がある。説明によれば、140数年前に建てられた、この地区では最も古い土地公ということで、中国からやってきた職人に造られたそうだ。そのわきには、水を引くための水路に使われていた石管が、資料として並べられている。地図上では、土地公から直接保成坑方向への道に続くように示されているが、道が見当たらない。そこで往路を戻る。

右に保成坑古道へ曲がる、わきには放し飼いの鶏
改築され新しい土地公の祠
戻ったところは、古道の入口だ。沢にそった古道を数分進む。一部崖が迫り幅が狭まったり、土に埋まった水路がある。古道は舗装路につながり終わる。舗装路はおそらく本来の道を拡張し舗装したものだろう。すぐ右に、崩山坑古道へつながる道を分ける。畑越し沢の対岸に、先ほど登った豎旗山の山塊が見える。民家の前を通り過ぎ、13時24分保成坑古道へ続く道の分岐にくる。わきには放し飼いの鶏が歩いている。のどかな農村風景だ。登り気味の道を数分行くと、まだ新しいきれいな土地公がある。最近建て替えられたようだ。この土地の人は、信仰深いようだ。

保成坑古道のはじまり、この辺りで異臭を感じる
矢印マーカーがある古道
土地公の前の橋を渡り進む。民家を対岸にみて道は進む。最近工事されているようだが、ここから古道の始まりだ。13時34分、分岐にくる。二つとも柑腳山の稜線につながる。右は風口鞍部へと続く道だ。沢を渡り進む。そのあたりで、メンバーは皆異臭を感じる。その先のもう住人がいない料角坑10號民家先で休む。先ほどの異臭について話が出る。老莫さんはこの辺りで遭難したのではないか、という人もいる。

保成坑山への分岐
風口の分岐
保成坑古道もこの地区の古道と同じように、もう使われていないが道幅もあり草もないよい道だ。沢を下方にして高度を上げていく。数分で、右に大きく登っていく。そこには、最近はやりのトレイルランの行事が行われたような、矢印が取り付けられている。14時、右に保成坑山へ続く道の道しるべを見る。枝尾根上の道を登り切り、また山腹の道を進む。14時15分、風口の分岐に着く。ここは最近は、今年4月に訪れた

柑腳山山頂
 崩山坑古道へ降りる
4月に訪れたときと同じに、風口から山腰古道を進み柑腳山へ登る。14時41分、筆者にとって三度目の柑腳山山頂(標高615m)に着く。往路をすこし戻り、登ってきたときの分岐からさらに稜線上の道を行く。14時55分、稜線を柑腳城山へと続くほとんど歩かれていないような道を分け、右に下る。こちらの道も草深い急坂だ。10分ほどで、崩山坑古道に合流する。

新しい道しるべの立つ分岐
大埤古道の石段
崩山坑古道は、淡蘭古道中路として政府の道整備が行われている。昨年歩いた時に比べると、確かに整備されたところがある。15時18分、大埤古道との分岐に来る。新しい立派な道しるべが立てられている。右にとり、大埤古道を下り始める。こちらは、崩山坑古道に比べるとあまり歩かれていないようで、草も多いがかなり長い間石段が続く。12,3分で古道は終了し、ススキの茂る広い道になる。それを追っていくと、開発工事が進んでいる道に出る。振り返ると背後には、三角ピークが高い。柑腳山だろう。この辺りは、靈嚴寺雙溪小築と呼ばれる納骨霊園の土地のようで、その開発が進行中なのだろう。

雙溪小築の前を進む
三叉坑產道分岐をさらに下る
幅の広い工事用未舗装道路をしばらく進み、15時52分靈嚴寺雙溪小築の建物が現れる。読経の音声がスピーカーから流されている。建物の前を通り過ぎ、そこから始まる舗装路を下っていく。途中にある水道で汚れた長靴や登山ステッキを洗う。16時23分、分岐を通り過ぎさらに下る。16時47分、清水坑バス停に着く。すこし暗くなりかけた17時15分、F812番バスがやってきた。20分ほどの乗車で雙溪駅に着き、17時45分数分遅れでやってきた区間電車で帰途に就いた。

清水坑バス停に到着
F812新巴士で雙溪へ
保成坑古道の入口近くで気づいた異臭については、台北にもどったあと老莫さんの家族に連絡を取って話した。9月に行方不明になった後、家族から筆者に連絡があり、その時は知っている情報を伝えていた。その後どうなったのかは、現時点では聞いていない。
今回は、約 18.6㎞、累計登坂約840m、累計下降1250mで下りのほうが多い歩きだ。途中、二つのピークを越えたことになる。休憩込みで約8時間40分の行動時間であった。今は、道の状態が良いので体力に問題なければ、十分お薦めだ。ただし、一年後は豎旗山の稜線道はどうなっているか。