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霧の中の石麻達山山頂 |
数年前に訪れた
李棟山は、1911年~13年にかけて当時の日本統治政府とその近くの原住民タイヤル族との間に熾烈な武力衝突があった場所(李棟山事件)である。今回の訪問場所は、李棟山の南に続く山々で、今年6月に訪れた
島田山のすぐ近くである。李棟山は、大溪から山奥に入っていく大漢溪の左岸にある羅浮から始まる山々に連なる。
那結山,內烏嘴山などを越え南に進み、李棟山からさらに南に大漢溪の支流である玉峰溪、そしてその支流である薩克亞金溪にそって石麻達山,錦屏山,
霞山そして
霞喀羅大山へと連なっている。これらの流域には多くのタイヤル族の集落が存在した。今も存在する集落もあるが、その後移住によりなくなった部落もある。
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北側魯壁山から出発、二つ山頂を越え屯野生台山から下山 |
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下りのほうが大きい歩き |
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登山対象の位置関係 |
島田山という山名は、第五代総督佐久間左馬太の理蕃政策で出動しタイヤル族と戦った新竹の討伐隊島田隊長からの命名である。そして石麻達の発音はシマダである。どうして並んで二つのシマダ山があるのか、その由来は今のところ不明だ。この二つの山は、ともに原住民との境界的な隘勇線があった場所である。島田山でも歩いた隘勇の道や、それに伴う警備員の駐在場所である隘寮や大砲が据え付けられた砲台跡が残っている。当時は北部の山間に暮らしていたタイヤル族は、北蕃と呼ばれ、勇猛な戦士として恐れられていた。ちなみに南で恐れられていたのは、ブヌン族(布農族)である。
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屯野生台山山頂の全メンバー |
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竹60号線錦屏產道から魯壁山三角ピークが目立つ |
朝6時半、三台15名で出発する。第三高速を關西で降り、內灣をすぎて尖石に入る。今年は何度か通過しているで、慣れた場所だ。7時50分、120県道から竹60号に入る場所のコンビニで立ち止まる。ここで一人新竹からやってくるメンバーと合流する。尖石二号橋を渡り進む。前方に一番で登る魯壁山の三角ピークが目立つ。錦屏後山產業道路のつづら折れを登り、8時半魯壁山登山口につく。二台の車で今日下山後のためにさらに下り28.5K近くの田埔產道の入口に車を一台残し、また魯壁山登山口へ戻る。下山後は、この一台で魯壁山登山口前に停めてある車を取りに行き、その後三台で下山口にメンバーを迎えに行く算段だ。9時5分過ぎに登山口に戻り、待っているメンバーと合流する。
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魯壁山登山口 |
9時25分、支度をすませ登山口から出発する。この登山道は、過去に地元政府が整備したようで、階段や木製の手すり、ベンチなどが据えてある。しかし、その後のメンテはされていないようで、壊れている場所もある。こうした登山道はほかでも同じようなところが多く、設置されたがその後メンテされていない場所がかなりある。残念なことだ。上り一方の道は、雑木林の中を行き、矢竹の間を過ぎる。シャクナゲ林に入り、間もなく9時44分、魯壁山山頂(標高1589ḿ)に到着する。登山口は約1420mなので、高度差170m、約20分の登りだった。
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魯壁山登山道,メンテが必要だ |
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魯壁山山頂 |
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稜線道を東穗山へ |
山頂は西側が樹木が少ないが、ガスがかかってきて展望は望めない。一般ハイカー向けには、ここから引き返すように注意がある。東穗山への道は、途中小さな上り下りがあり、ちょっとした岩場もあるので、こうした表示なのだろう。道はすぐに大きく下り、雑木林の間を進む。樹木の少ない小ピーク上では、東側の山谷が見える。こちらはまだ霧が出ていない。玉峰溪を挟んで、今月初めに訪れた
芝生毛台山から虎禮山への稜線が続いている。そして真正面には、東穗山が頭を出している。林の下にはところどころ矢竹がある。陽光が時々木々の間から差し込む。尾根上を進み、10時33分左からの分岐を合わせる。小さな鞍部になる分岐で小休をとる。
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西側はまだ展望がある、対面は芝生毛台山 |
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矢竹の急坂を東穂山へ登る |
東穗山への登りが始まる。約1550mの鞍部から約170mぐらいの落差だ。道は登り一方で、けっこう急だ。途中下ってくるパーティとすれ違い、約20分ほどで、11時過ぎに東穗山山頂(標高1724m)に着く。数名のパーティが山頂近くで、煮炊きをしている。20分ほどの休みのあと、山頂を後にする。いったん下り、また稜線上の無名ピークへ登り返す。霧が出てきた。高度が上がり雲の中にはってきた、ということだ。巨木のあるピークを越え、また下っていく。12時10分過ぎ、分岐に来る。右は稜線を追っていく道、左は山腹を行く道で、ともにのちに合わさる。左に取り、少し下って山腹をぬっていく。12時33分、稜線道を合わせる鞍部で食事休憩をとる。
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東穂山山頂のメンバー |
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巨木のあるピーク |
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鞍部で食事休憩 |
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稜線分岐へ進む |
30分ほどの昼食休憩のあと、島田山の山腹を稜線上の分岐へ向けて登っていく。13時22分、分岐に到着する。右は島田山へ続く。6月はこの分岐へ下り、山腹を行く隘勇路を戻っていった。時間があれば島田山へ往復してもよいが、すでに午後1時を回り、まだ行程全体の半分ぐらいなので、左におれ先を急ぐ。すぐに、50センチぐらいの高さに盛り土された壁の囲いがある。以前の隘寮ではないか。そのすぐ先には低い石を積んだ道の基礎のようなものもある。
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稜線上の分岐、左へ進む |
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稜線道上の隘寮遺跡 |
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百年前の隘勇道か |
分岐から約100mほどの落差を登り、ピークを越す。稜線上の道は幅が広い。普通の山道とは感じが違う。おそらく隘勇路だろう。当時は道の両脇20mにわたって、樹木がすべて切り倒されたという。それは原住民が樹木の間に隠れる場所をなくし、襲撃を防ぐためであったという。今は、広葉樹が茂るがそれほど密度は高くない。緩やかなピークを過ぎ、また鞍部へくだる。先ほどから聞こえてきた雷鳴が近づいてくる。矢竹は露でしめっていて衣服を濡らす。先ほどから降り始めた雨脚が強くなり、雨具をつける。
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緩やかな稜線を行く |
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濡れた矢竹で衣服も濡れる |
大分登ってきて残り少ない場所で、新しい大きな倒木が道を塞いでる。倒木を乗り越え最後の急坂を登りきる。尾根上の分岐に上がる。左は屯野生台山方面への道だ。先に右へ石麻達山へ進む。少し進み、14時47分狭い山頂(標高1942m)に着く。今日はここが最高点だ。周囲はすべて霧で真っ白だ。直進すれば錦屏山へと続く。赤い道しるべには背の高い矢竹が密生しているとの注意がある。幸いに雨はほとんど止んだ。
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石麻達(シマダ)山山頂の筆者 |
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急坂を屯野生台山へ下る |
15時10分、屯野生台山へ下り始める。道は間もなく急坂になり、高度を下げていく。下ること20分ほどで、急坂が終わる。道わきにビール瓶が落ちている。拾ってみると大日本ビール瓶である。戦前日本の最大手ビール会社のものだ。近くに隘寮などがあったはずだ。少し進むと、果たして平らな開けた場所がある。今は何もないが、ここがおそらく隘寮のあった場所だろう。端の幹に道標が取り付けてある。島田山へとある、山腹を横切っていく道のようで、こちらが隘勇路であったようだ。
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大日本ビールのビール瓶 |
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海豚石 |
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緩やかで幅の広い隘勇道 |
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屯野生台山への分岐、ここは直進 |
幅の広い道が緩やかな尾根を進んでいく。15時40分、海豚石と説明のある奇石を見る。確かに見る角度ではイルカのように見える。さらに緩やかな道を数分行く。開けた場所にクスノキ巨木が生えている。説明では夫婦樹とある。二本根元から寄り添って聳えている。緩やかな道は勾配が増し、16時8分分岐に着く。右は屯野生台山へ、左は直接登山口へ下る。右にとり、わずかな登りを登り返す。アカマツ林の松葉絨毯を通り過ぎ、16時19分眼前に石積壁が現れる。過去の砲台跡のようだ。平らな林をすぎ、三角点のある屯野生台山山頂(標高1608m)に到着する。ここにあった大砲は、おそらく今しがた歩いてきた隘勇路を経て運ばれたのだろう。
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屯野生台山砲台の石積土留壁 |
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屯野生台山山頂 |
今でも残る馬里光,田埔,秀巒(控溪)などの部落は、ここと対岸の芝生毛台山や李棟山の下に位置する烏來山に配置されたという大砲の射程に入る。この山谷の原住民は、この大砲の脅威の下、銃を差し出し帰順する。原住民にとっては、銃は狩猟に必要なだけでなく、祖先から代々伝わってきた家宝でもある。それを差し出すことには、大きな抵抗があったはずだ。
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桂竹林を抜けていく |
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登山口前の急坂を下る,森の下に畑が見える |
天気は涼しいが、みんなが持ってきたビールなどを開け、16時45分最後のセクションを下り始める。桂竹林を抜け、急坂を降りて17時に登山口に着く。田埔產道の最終点で、すぐわきには大きな水タンクがある。上部に掛かる雲から出たので、眼前には山谷が広がる。田埔產道の両脇は開墾され、畑になっている。下るにつれ、風景が変わっていく。対面の田埔の集落が見下ろす位置から次第に上がっていく。最後は、芝生毛台山がとても高くなっている。17時52分、竹60号秀巒道路の分岐に来る。今日の歩きは終わりだ。先に車を取りに行ったメンバーは18時20分ほどにやってくる。着替えをすませ、帰途に就く。途中關西の客家料理の店で食事をとり、台北には22時前に帰り着いた。
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田埔產道を下る |
午後に雨に降られたが、一時的なもので助かった。最近はずっと、午後ににわか雨が降りそうな天気が続いているので、降られなければラッキーということだろう。台北の灼熱地獄から開放されたことを思えば幸せだ。歩行距離は13,2K、累計で970mの登り1430mの下りである。休憩込みで8時間半ほど、思ったよりは時間を要しなかった。石麻達山から屯野生台山への道は、幅が広く緩やかな森の道で、とてもよい。濃霧の中の歩きだったが、天気が良ければさらに快適だろう。
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田埔部落を望む、右の谷は玉峰溪 |
最後に、この日
我々が先週歩いた鳥嘴山の近くで落雷にあい2名が重傷を負って入院し、その他にも軽傷者もでた、というニュースがある。実は、距離的気にそれほど遠いわけではない。我々がきいていた雷鳴は、じつは同じ雷で彼らは落雷にあった。傘をさしていたことが、雷を招いたようだ。我々は問題なく下山できたのは、本当に運というべきだろう。